何かが流行すると、「このブームをブームで終わらせずに文化に!」とよく言われます。サウナに関しても、「ブームを文化に」「ブームから文化に」ということが言われることがあります。しかし、「サウナがブームから文化になるにはどうしたらいいのか?」ということを具体的に考え、示している人はあまりいないように思います。あたかもブームの延長に文化があるように、目指すべき理想のように「ブームを文化に」と言いますが、サウナに限らず、ブームから文化になる、ということは、実際あり得ることなのでしょうか。どうすれば文化になると言えるのでしょうか。今回は、「ブームを文化に」ということについて考えてみます。
ブームと文化
「ブーム」の辞書上の定義は、例えば次のようなものです。
あることがにわかに人気を呼んで、一時的に非常な勢いで流行すること。または、特定の人が熱狂的にもてはやされること。また、その期間*1。
一気に、一時的な勢いで何かが流行することを指し、基本的には一過性の流行のことを言います。実際にいくつかの「ブーム」の事例を分析して、ブームとはどういう流れをたどるのか、そのメカニズムに迫ってモデルを提示した研究があります。その研究によると、事例によって多少の差はあっても、ブームというのはどんなものでも同じような盛り上がりと衰退の流れをたどると言います。この研究では、事例から導き出したモデルについて「いわゆるブームと呼ばれる現象のすべてが記述できるわけではないが、そのうちかなりのものが記述可能であるといえそうである」*2と言われています。
結局どんなブームであれ、これを巻き起こしているものは人々の心の移り変わりに他ならない。如何なる話題に関しても、基本的には同じようなリズムで盛り上がって群がり、そして飽きて去っていく、という人間の性・宿命を垣間見ることができるのである*3。
基本的に同じように盛り上がりと衰退を見せるブームの中で、事例によってはブームが去ってからの利用者がブームになる前を下回るケースがあるとも、この研究では指摘されています*4。その理由については複数考えられていますが、例えば多くの人が買うなら自分は買わない、というような逆行する動きもあるのだろうということが示唆されています。サウナなどの場合は、もともと利用していた人たちがブームで居心地が悪くなり離れてしまい、かつブームでサウナを利用していた人も飽きて離れる、ということがあればこのパターンになる可能性もあると考えられます。
一方、「文化」の定義はより複雑で、文化論の枠組みの中でさまざまな見解がある言葉ではありますが、「ブームを文化に」と言われるときの「文化」とは、一過性で去ってしまう盛り上がりではなく、多くの人々の生活・日常に根付いたもの、というような意味合いで使われていると思います。事典上の定義の冒頭だけ見てみます。
人間の知的洗練や精神的進歩とその成果,特に芸術や文学の産物を意味する場合もあるが,今日ではより広く,ある社会の成員が共有している行動様式や物質的側面を含めた生活様式をさすことが多い*5。
ここでいう、「ある社会の成員が共有している行動様式や物質的側面を含めた生活様式」という意味で使われていると考えられます。つまり、一時的なものではなく、恒常的に多くの人々の生活の中にあるようなものと言えるでしょう。
サウナのブーム
今は空前のサウナブーム!と言われますが、過去にも日本で「サウナがブーム」と言われた時期が複数あります。
その最も大きなものは、フィンランドからサウナが日本にもたらされ、サウナが日本で続々作られた1970年代にありました。日本サウナ・スパ協会技術顧問で、METOSの前身「中山産業」の元取締役の中山眞喜男は、インタビューの中で1970年代に「日本サウナ党」や地方ごとのサウナ協会ができたことを語り、次のように続けています。
その時に会報みたいな新聞を発行しましてね、東京都の衛生局の課長が祝辞を書いてるんですけど、それを読んでたらですね、昭和46年の時に都内で440軒のサウナがある、と書いてある!!
だからすごい広がり方ですよね、わずか5年くらいです*6。
東京オリンピックをきっかけにフィンランドからサウナがもたらされてからわずか5年で、日本にはサウナが急増したというのです。このインタビュー記事の該当部分の見出しは「スカンジナビアクラブ*7以降、日本中は今のサウナブームなどとは桁違いの一大サウナブームが巻き起こっていたのだ!」となっていますが、確かに当時は施設も増加し、「日本サウナ党」も結成され、まさに空前のサウナブームだったと言えそうです。中山はフィンランドからヒーターを輸入したことについても触れています。
本当だから変な意味で、やっぱりサウナはフィンランド式で作らなきゃダメだっていう、常識みたいになってきたんですよね。
そんなこともあって、そうとう輸入しましたよ、サウナを。
ボクの記憶でも年間に4~500台は輸入してたと思うんですよね*8。
「サウナの日①」でも取り上げましたが、日本サウナ党は結成当初党員300人弱でスタートし、3年目には党員が3万人をこえたといいます*9。この時代、施設数も急増していますがサウナ好きの人数も急増していることがわかります。同じものではないですが、現在で言うと例えばサウナ検索サイト「サウナイキタイ」の登録ユーザーは2019年1月時点で3000人強だったのが現在約2万3000人だと言います*10。党員になるのとサイトの登録ユーザーになるのとで、いろいろ条件は違いますが、1970年代にはサウナ好きが急増していたこと、今もその頃に迫る勢いがユーザー数には見られるということがわかります。一方施設数は、現在は1970年代のように増えているとは言えません。
実際に当時の新聞などを見ると、1970年代にサウナが急増していることがわかります。1972年「朝日新聞」の「サウナの効果は…」という記事には、「次第に姿を消してゆく銭湯にひきかえ、サウナ風呂(ぶろ)はいま隆盛の一途」*11とあり、全国のサウナの軒数をあげています。1965年に596軒だったのが、1968年には1365軒、1971年には2534軒と「三年毎に倍増という盛況ぶりだ」*12と紹介しています。
単純に軒数が増えていったというだけでなく、サウナとサウナ利用者が増えるにあたり、最近でも見られるような議論がすでに1970年代には見られます。この記事でも、「サウナ愛好者はふえる一方だが、果たしてサウナは健康に効果があるのだろうか―」*13という問いかけから、身体への効果について医師の見解などが紹介されています。日本では間違った利用のされ方をしている、という議論もここで見られます。
適切な入浴法を守れば、サウナのすぐれた効果は認められるが、日本の現状に不満を持っている人も少なくない。フィンランドでは、サウナはスポーツとしての位置を占めているのに対し、わが国のサウナは多分に遊興的な要素を残しているというのが一つの理由だ*14。
そして、医学的効果などなくても良いのでは?という見解もこの記事で紹介されています。
しかし「サウナにはそれほど厳密な医療目的がなくてもいいのではないか」という意見もある。要するに、疲労回復、ストレス解消で、一時的にせよ気分がスッキリすればよい、というのだ*15。
「すぐれた効果」があるような入り方でなくても、スッキリすればよいのでは、ということです。これに対して、当時の日本サウナ党事務局長の斉藤繁人は「しかし、それにしても日本的サウナには行過ぎが感じられますね」*16と苦言を呈したといいます。それに対して新聞の記事自体も「サウナの激増ぶりが、ともすればサウナ本来の素朴さから逸脱して、一方では享楽性と組み合わせたサウナを売物にする業者がふえているのは事実」*17と指摘します。この記事は日本サウナ党事務局長の次のような言葉で締めくくられています。
結局のところ、サウナを利用するのはわれわれなんですから、むやみにサウナがふえればいいというものでもない。ブームに便乗して、きらびやかな設備を競うサウナ業者にも反省してもらう必要があるでしょう。利用者は、健全な、いいサウナと悪いサウナを区別して、サウナをもう一度、原点に戻すことを考えなくては……*18
この記事から、1970年代にはサウナは「ブーム」とされており、いかに利用するべきか、良いサウナは、悪いサウナはなどについても議論されていたことがわかります。細かい論点は今と違いますが、サウナやサウナ利用者の増加に伴い「ブームに便乗する」人に対して苦言が呈されたり、どうあるべきかが議論される、ということが既に行われていたわけです。
企業のサウナ部なども、よくメディアに取り上げられますが、1980年代にはサウナでの会議が取り上げられています。「肌を上気させた部長の声が響く。ガウンをはおった社員たちは、ふだんと違ってリラックスムード。スッキリした顔で、議論を続けていた」*19と、ニュージャパン梅田で会議をする人たちが取り上げられています。
かつてのサウナには暗いイメージがあった。二日酔いざまし。終電車に乗り遅れてそのまま仮眠……。
今は違う。健康ブームに乗って、ビジネス街のサウナは急速に変化している。ホテルと見まがう豪華な内装。日焼けサロン、アスレチックジムまで備えた同店はそこらのヘルスクラブにひけをとらない。入浴料五千円以上の高級サウナは接待族で大にぎわい。美容室を併設した女性用サウナも各所に出現している*20。
この記事にもあるように、1980年代には女性のサウナ利用も増えたそうです。「オジンドローム」(おじん行動症候群)という言葉で形容され、女性たちが居酒屋やサウナを楽しむようになったことが新聞でも取り上げられました*21。1988年には、女性専用サロンのリフレッシュサロンフローラが池袋にオープンしました。5種類の湯舟とサウナがあるこちらの施設では、美容のためにサウナとウォーターバスを繰り返すことが推奨されています。1988年には、女性優位の銭湯のオープンを報じる記事の中で支配人の「ふろやサウナを楽しむ層は、今やお年寄りや男性から若い女性や主婦へと急速に広がっています」*22という言葉も紹介されています。
(画像出典:読売新聞「残業帰り リフロッシュ」よりサロンフローラの写真)
今、ブームと言われる中でメディアでは「おじさんのイメージだったサウナが女性にも人気」であったり、「サウナで会議」というようなことが取り上げられますが、こうしたことも、既に1980年代に同じようなことが言われてきているわけです。
過去の日本のサウナブームを探る上でヒントとなる上記の4つの新聞記事のポイントをまとめると以下のようになります。
ブームは文化になり得るか?
「サウナがブーム」と言われるのは今が初めてではなく、過去にもブームがあったことがわかりました。同じブームと言っても、1970年代のサウナブームは施設の数も激増し、サウナの数・利用者共に増えていったわけですが、現在は施設数自体は減少傾向で、ばんばん新しい施設ができる、というものではありません。アウトドアのサウナが流行していることや、webサイトができたこと、SNSの存在など、今のブームの特徴もあります。サウナ愛好家や施設数以外での過去と現在のブームの特徴も以下にまとめてみました。
施設・利用者の増加が大きかった過去のサウナブームも、サウナが文化になるということには寄与しなかったわけです。そもそもブームで流行したものが文化になることはあるのでしょうか。
「ブームを文化に!」と言えば、2015年女子サッカーワールドカップカナダ大会の決勝前の記者会見で、宮間あや選手が「女子サッカーが、ブームではなく、文化になっていけるように」と言ったのは有名です。5年が経つ今、女子サッカーが文化として根付いているか、定着しているかというと、そうではないのが現実でしょう。
また、ラグビーも2019年のワールドカップでブームとなりました。テレビ中継の視聴率が40%を超えるほどの注目度で、ラグビー関係者が「今回こそブームをブームで終わらせないと息巻いています」*23と報じられています。
(画像出典:FNNPRIME「ラグビー歴史的勝利で「にわかファン」急増中! ビデオレンタルなど需要増大」)
しかし、このブームを報じる記事では「このままではその意欲は空回りに終わるでしょう」*24との見解が示されています。その理由については、以下のように説明されています。
これまでも日本代表の大活躍でブームを迎えた競技はありますが、そのブームが国内リーグにも同じ勢いで波及するわけではありません。2011年にワールドカップを制した女子サッカーも国内リーグは2018年度の平均入場者数は1400人ということでかつてのブームはもはや終息していますし、ラグビー競技自身も2015年ワールドカップの翌シーズンはトップリーグの観客動員が大幅に増したものの、翌々シーズン以降は微減に転じています*25。
スポーツの場合とサウナの場合では事情は異なる部分はあるかもしれませんが、代表選の人気がそのままグループリーグの人気にスライドするわけではない、ブームで関心を持った人が「日常」にもそれを持ち込むわけではないということは、ブームに共通する特徴ではないでしょうか。
ラグビー関係者が「今回こそブームをブームで終わらせない」と言うように、ブームは一過性ではありますが繰り返し発生する可能性のあるものだということです。サウナにしても、「文化」になるのではなく時折同じ議論を繰り返しながら層を変えてブームが断続的に続いていくのではないでしょうか。
ブームの延長に「文化」があるわけではなく、ブームは一過性の盛り上がりであり、「文化」は長い歴史の上に成り立つ、根っこの違うものだと言えるのではないでしょうか。
サウナの未来
1970年代の新聞記事にも、日本のサウナは遊興的という指摘がありましたが、生活様式の一つとしてサウナが日本に根付くということは考えにくいです。よくフィンランドとの比較がされますが、フィンランドでサウナが生活に根付いているのは、サウナが生まれて以来ずっとそれを継承し、利用し続けているからであって、ブームの延長にそうした「根付き」があるわけではありません。「サウナの日②」で1974年の国際サウナ会議のオープニングセッションで当時の教育大臣Marjatta Väänänenが話した内容を紹介しましたが、大臣はほかの国でサウナが姿を消す中、フィンランドではそれが途絶えなかったことを強調していました*26。これが文化として根付く、ということであり、他の国では同じようにはならないわけです。もしも生活に根付いた文化になる可能性があるのなら、1970年代のブームの時になっていたでしょうし、ならなかったということは日本におけるサウナ利用は日常の入浴のスタイルではなく、娯楽の一つだということを証明しています。ブームの延長に「文化」はないのです。
現代において新たな文化が生まれるということはそもそも難しいと言えます。同じ時間、みんなが同じプロレスを見ていたような時代とは違って、今は趣味もライフスタイルも多様であり、パソコンやスマートフォンなどのように、生活を変えるようなものが開発されない限り、何かが新たに文化として根付くというのは難しいのではないでしょうか。
(画像出典:日本のプロレスの歴史)
サウナについて言えば、タトゥー・入れ墨が入っていれば利用できる施設は限られますし、女性も入れる施設が限られます。金額も日々の入浴に利用するには、決して安くはありません。
そもそも、無理に「文化」にしようとする必要はないのではないでしょうか。そして「文化」は作れるものでしょうか。「女子サッカーを文化にしたい」と話した宮間選手は、その後のインタビュー記事で次のように語っています。
「女子サッカーを文化にしたい」。ワールドカップ(W杯)カナダ大会前や大会後にそう口に出してきました。でも、「こうなったら文化」、という答えは自分の中でもまだありません。ましてや、作ろうと思って作れるものではない。高校野球のように、自然と作り上げられてきたものが、「文化」と言えるのだろうなと感じました*27。
スポーツの場合も、作ろうと思って作れるものではなく自然と作り上げられたものが文化だと言えます。無理に文化にしようと思ったり、サウナ利用者を増やそうと思うと、「身体によいものなんだ」という健康効果をアピールしたりしがちですが、そうした情報が必ずしも正確であるとは言えず、また「文化」になることに実際つながるかというとそうでもありません。実際に温浴施設の閉店、廃業は後を絶たず、サウナ好きに人気がある施設であっても様々な理由で姿を消していっています。生き残りを考えるのであれば合わないところにパズルのピースをはめこもうとするよりも、合うところを探す方が効果的ではないでしょうか。それはやはり、娯楽の一つとしてのあり方です。
1970年代の新聞記事で厳密な医学的な目的がなくてもいいのではないか、という指摘が既にありましたが、娯楽の一つであれば、どういう危険性があるのか、というようなことが医学的にわかっていれば十分なのであって、無理に「サウナにはこんな効果がある!」と飛躍させる必要はないのです。
ブームという文脈で、昔からサウナに来ていた常連客や「古参」客と、ブームによって来るようになった「新参」客との対立について触れられたりすることもありますが、温浴施設も商売ですから、利用者が少なければ閉店・廃業してしまうこともあります。もちろんサウナは空いてる方が快適です。誰だってそう思うでしょう。たまたま自分一人で貸し切り状態であることを喜ばない人はいないでしょうし、自分が頻繁に通う店が混雑するのは嬉しいことではありません。しかし、それは売上という意味ではプラスになるわけで、混んでいるか、つぶれるかの二択であれば、混んでいてもその施設にあり続けてほしい、という考え方もあります。
また、新しい利用者の方がマジョリティーになっていくことも大いに考えられます。サウナハットの着用、複数人でしゃべりながらのサウナ利用など、いわゆる「新参」客に対して苦言が呈されることもありますが、仮にそういう客がマジョリティーになれば、サウナとはわいわいみんなで楽しむものだ、という風に変わる可能性もあるわけです。「サウナ→水風呂→外気浴→ととのった」というのもその例でしょう。1970年代には、別の楽しみ方だったかもしれません。昔のサウナ好きは露天スペースでぐったりと「ととのう」サウナ好きを見て顔を顰めるかもしれません。マナーというのも絶対的なものではなく時期によって違ってくるものです。実際に、今ではサウナに入る前は髪や身体を洗ってから入る、というのが当然のマナーと考えられていますが、昔のサウナ施設にあるサウナの入り方の説明などには「まず最初にサウナに入って垢を浮かせてから身体を洗う」となっていることも少なくありません。今当然と思っているマナーが、数十年後も同じとは限らないわけです。店ごとに、うちはこういうサウナの利用の仕方をしてほしい、ということを示すことはできますが、「サウナとはこうして入るものだ」と、「サウナ」を主語に言うことはできないわけです。
(画像出典:朝日新聞DIGITAL「高まる日本のサウナ熱 リフレッシュの場、マニアも登場」)
できれば空いているサウナで静かにサウナを楽しみたい、という気持ちはサウナ好きには当然あるでしょう。しかし、不況の中、今後経済成長も見込めない日本で、サウナが生き残るためには、こうした「新参」客こそが光かもしれません。先に紹介した「ラグビーブームを文化として定着させるために、ラグビー界に必要な次の一手」という記事の結論は、「ラグビー日本一を決める試合はコレです」という告知を行い、試合に「にわかファン」を集め、選手たちの勝負を見せること*28だとされています。もちろん、お金を落とせばグループで騒々しい客の方が「古参」客より偉い、と言うつもりはありません。逆に、お金を落としているのだから常連が正しいとも言いません。これからもたくさんのサウナを楽しむためにどうすればよいかを考えるにあたり、こうした点も対立や和解といった軸ではなくもっと俯瞰して考えることが鍵になるのではないか、ということです。
今回は「ブームを文化に」ということについて考えてみました。他のブームと同じように、サウナもブームを「文化」にすることはできないですが、ブームでサウナを利用するようになった人に対して各施設がどう反応していくかがサウナが生き残っていくポイントであることは確かでしょう。大多数の人の日常生活に溶け込む「文化」ではなく、娯楽の一つとしてサウナがこれから先も発展し、娯楽の選択肢として定着していけば、これからもいろいろなサウナを楽しむことができそうです。時々、ブームを繰り返しながら。
参考文献・資料
livedoorNEWS(2019)「ラグビーブームを文化として定着させるために、ラグビー界に必要な次の一手」
SAUNNERS「日本のサウナ誕生秘話、そしてサウナの知られざる裏話。日本サウナ界最強の泰斗・中山眞喜男氏 降臨!」、2018年5月16日
Väänänen, Marjatta (1976) "Adress by The Finnish Government", Sauna Studies.Ⅵ International Sauna Congress, Helsinki, August 15-17, 1974, pp.9-11.
中桐裕子・栗田治(2004)「社会的なブームの微分方程式モデル」、公益社団法人 日本オペレーションズ・リサーチ学会『日本オペレーションズ・リサーチ学会和文論文誌』47巻、 pp.83-105
朝日新聞、「(2015甲子園観戦記)宮間あやさんと見る、高校野球100年」、朝刊、2015年08月14日
朝日新聞、「サウナの効果は…」朝刊、1972年10月22日
朝日新聞、「女性(´86世相語年鑑・1~7月)」朝刊、1986年7月16日
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朝日新聞「中森大雄総支配人 女性優位の銭湯登場(こんにちは)」朝刊、1988年6月23日
精選版 日本国語大辞典
ねとらぼ「ネットでつながるサウナ愛 国内初&最大のサウナポータル『サウナイキタイ』はなぜ生まれ、どうサウナ人気を支えていくのか」、2019年1月13日
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
読売新聞、「[流行最前線]裸になれば本音百出 サウナ、会議を踊らす?」朝刊、1988年7月17日
*1:精選版 日本国語大辞典
*2:中桐・栗田、p.103
*3:同上、p.99
*4:同上、p.100
*5:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
*6:SAUNNERS
*7:日本で最初のフィンランドスタイルのサウナのあった店
*8:同上
*9:朝日新聞、「『政権』交代」、1972年9月3日
*10:2019年1月時点の情報は「ネットでつながるサウナ愛 国内初&最大のサウナポータル『サウナイキタイ』はなぜ生まれ、どうサウナ人気を支えていくのか」より、現在の情報は2020年3月に「サウナイキタイ」運営に問い合わせて得た回答に基づく。
*11:朝日新聞、「サウナの効果は…」
*12:同上
*13:同上
*14:同上
*15:同上
*16:同上
*17:同上
*18:同上
*19:読売新聞、「[流行最前線]裸になれば本音百出 サウナ、会議を踊らす?」
*20:同上
*21:朝日新聞、「女性(´86世相語年鑑・1~7月)」
*22:朝日新聞「中森大雄総支配人 女性優位の銭湯登場(こんにちは)」
*23:「ラグビーブームを文化として定着させるために、ラグビー界に必要な次の一手」
*24:同上
*25:同上
*26:Väänänen, p.10
*27:朝日新聞「(2015甲子園観戦記)宮間あやさんと見る、高校野球100年」
*28:「ラグビーブームを文化として定着させるために、ラグビー界に必要な次の一手」