歴史
今回は、江戸の湯屋のお正月についてまとめてみます。
今回は、浴場ルールの歴史についてまとめてみます。
今回は、銭湯サウナ誕生の歴史を見てみます。
今回は、日本で紹介されてきたフィンランドのサウナ文化について見てみます。
今回は、女性のサウナブームの歴史について見てみます。
今回は、日本のヴィヒタの歴史について考えてみます。
国際的なサウナの大きなイベント、International Sauna Congress(国際サウナ会議)について見てみます。
3月7日はサウナの日とされていますが、いつから、どのようにしてサウナの日になったのでしょうか。また、フィンランドには日本とは別のサウナの日、サウナデイがあるそうです。
どうして日本では高温カラカラのサウナが定着してきたのでしょうか。
風呂という言葉はもともと蒸し風呂(広義のサウナ)を指す言葉で、日本には古くから様々な蒸気浴風呂があったことがわかっています。今回は、昔の風呂の平面図を見てみます。
近世は蒸し風呂(広義のサウナ)から湯風呂への移行期とされています。蒸し風呂が進化する一方で、湯風呂も登場してきます。そして、近代に入るといよいよ蒸し風呂と決別し、湯風呂中心の沐浴文化になっていきます。
近世は蒸し風呂(広義のサウナ)から湯風呂への移行期と言えます。近世には、半分蒸気浴・半分温湯浴の形式の風呂が登場するなど、蒸し風呂も進化していきます。
中世については風呂の形式がわかる絵画資料もあり、この頃には広く蒸気浴(広義のサウナ)が行われていたことがわかっています。
『枕草子』に石を使った塩風呂が出てくる、だから平安時代には石を使った蒸気浴(広義のサウナ)があったのだ、という文献をいくつか見かけました。しかしながらこの記述、実際に『枕草子』に出てくるものではなさそうです。
平安時代には「ユヤ」という言葉があらわれ始め、平安末期には「フロ」という言葉も見られるようになり、この頃から屋形を構えた蒸気浴(広義のサウナ)施設も登場したと推察されています。
日本人は古代から蒸気浴(広義のサウナ)をしていたようで、自然を利用した蒸気浴形式の風呂が西日本に昔からあったことがわかっています。
日本の入浴の歴史は長い間蒸気浴が中心で、今のようにサウナがブームになる下地は古代から私たちのDNAに刻み込まれているのかもしれません。