Saunology -Studies on Sauna

Saunology -Studies on Sauna-

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日本で紹介されてきた「本場」フィンランドのサウナ文化

 サウナについて語るとき、「サウナの本場フィンランドでは」「フィンランド式こそが本物」というように言われることも多いです。日本のサウナにも良さはありますし、サウナ好きの中には、こうした表現をあまり強調されると興覚めしてしまうという人もいるかもしれません。しかし、これも今に始まったことではありません。昔から「サウナの本場」としてフィンランドのサウナ文化について伝えられてきました。今回は、日本で紹介されてきたフィンランドのサウナ文化について見てみます。

 

オリンピックとサウナ

 フィンランドのサウナについて言及している古い例として、1952年6月2日の『読売新聞』「蒸し風呂もある五輪村/ヘルシンキ」があります。オリンピックの選手村のサウナの様子を伝えるものです。

オリンピツク大会の開幕も次第に迫りこゝヘルシンキでは組織委員会を中心に着々準備が進められている各国選手を収容するキヴエンカツのオリンピツク村もほゞ建並び来月5日には完成し4800のベツドとフインランド名物の14の蒸しブロが各国選手を迎えるが4階建の美しい建物で用がすめば市住民宅になるというので日曜日など若いアベツクが見物に訪れるというなごやかな風景も見られる*1

 1952年のヘルシンキの選手村には、14のサウナがあったということですね。「蒸し風呂」という表現ですが、サウナが「フィンランド名物」として紹介されています。選手村の建物が使い終わったあとに市住民宅になるというのは、今の東京オリンピックと同じですね。

 そして、日本にフィンランド式のサウナが入ってくるのも、1964年の東京オリンピックが契機です。1964年、東京オリンピックの際に、日本人も選手村にサウナを作りました。開村式のリハーサルをしている時期に、フィンランドのビルヨ・アホカス駐日大使が訪問したときの様子を報じた記事があります。

この日、大使が選手村へきた、一番の目的は”サウナ”が間違いなくフィンランド風にできたかどうかを自分の目で確かめるためだった*2

 というのも、その前にフィンランドのオリンピック委員会会長が視察したときには、日本が用意していたサウナはフィンランドのサウナとはかなり違うものだったそうです。

四月、フィンランド・オリンピック委員会のカスケラ会長らが訪日したとき、本場のものとはだいぶちがうことがわかり、ちょうどそのとき訪日していたフィンランド観光団一行のうち、その話をきいたカレリア電気会社社長からサウナ用電気ガマを、組織委に寄贈したいという申し入れもあり、予算百万円が追加され、設計図には二十七平方㍍、六ー七人用のサウナとシャワー室が書き足され本場そのままのふろができ上がったもの*3

 こうして、フィンランドからサウナ用電気ガマをもらって、最終的には本場フィンランドのものに近いサウナができたということです。記事は次のような大使の様子でしめくくられています。

故郷のサウナそっくりのでき上がりぶりに大使は「トレ・ビアン、トレ・ビアン(たいへん結構)」とフランス語を連発、大喜びだった*4

 オリンピックはフィンランドのサウナが海外に輸出される契機の一つになってきたといえそうです。

 

トルコ風呂とサウナ

 古い新聞記事を見てみると、いわゆる「トルコ風呂」について、本来サウナとはそういうものではない、とする記事もあります。そうした文脈でも、フィンランドのサウナ文化について紹介されています。

トルコブロの風紀問題がやかましいが、もともとはレクリエーション向きのたいへん健康的なもの。蒸気を使う湿式と、熱気を使う乾式の二つがある。ともに部屋を七〇度ぐらいに熱し、人体の発汗作用を促進、新陳代謝をさかんにして疲れをとる。どちらも水不足の中東でうまれた。乾式は北欧でさかんで”サウナ”と呼ばれている。(中略)フィンランドあたりでは湖のそばにあり、サウナでほてったからだを湖水で冷やしたり、風景を楽しんだり、ごちそうをたべたりする。個室は外国でもあるが、マッサージ師は男、女性は日本だけとか。*5

  1960年代には、トルコ風呂の風紀について問題視されていて、そこでフィンランドのサウナについて触れられています。海外ではマッサージを担当するのが男性、というのも興味深いです。

 さらにはっきりと、サウナを「いかがわしい目的」で使うということに対して、本場はそうではないという記事もあります。1977年10月6日の『読売新聞』「サウナは性域でなく聖域である」という記事です。

フィンランド伝統のサウナぶろ。日本でも大分普及しているが、本場フィンランドでは「外国のサウナは”いかがわしい目的”に使われている」と怒っているそうだ。もともとは、教会と同様、心身を清める”神聖”な場所、トルコぶろと混同されては迷惑ーということらしい*6

 また、こうした日本のトルコ風呂のような使われ方について、フィンランドのサウナ製造会社の社長が次のように話しています。

フィンランドでは、家族でない限り男女がいっしょにサウナに入ることはあり得ないし、成長した少年少女は、家族であっても別々に入浴している」とサウナ製造会社の社長ヒバエリネン氏はいう。フィンランドの古い格言に「サウナでは教会にあるがごとく行動すべし。音をたてたり、叫んだり、ばちあたりの行動は許されない」とあるそうだ*7

 今でもサウナ好きの中では比較的有名な格言、「サウナでは教会にあるがごとく行動すべし」が引用されています。フィンランドでは家族でなければ男女が一緒に入ることはないということが強調されています。

 そして、入り方についても「本場」の目線で指摘されています。

(外国人のように)サウナを減量法に使うのは、ばかげているそうだ。いくら汗をかいても、水を飲めばすぐにもとに戻ってしまうからだ。サウナに入れば、当然、のども乾くし、腹もへる。フィンランド人は、入浴後にニシンの塩づけとゆでたジャガイモを食べるよう勧める。アンチョビなどもよろしい。また、バス内の適温は八十ー百度。入浴時間に制限はない。ただし、「サウナの中で熱さのがまんくらべなど、決してしてはいけません*8

 ダイエット目的で入る、がまん比べをするというような入り方は間違っているということです。この記事は、次のようにしめくくられています。

だが、サウナは健康にいいのだろうか。フィンランドでは「酒を飲んだら、絶対入るな。また、食後は少なくとも一時間おいて入浴しろ」とよくいわれる。からだへの負担が大きすぎるからだ。しかしフィンランド人は「歩ける人なら、だれでも入ってよい」ともいっている。サウナの中で一番熱いのは天井周辺だから、入浴者は床にあお向けに寝て、足を壁に投げかけるーこれがサウナに入る”こつ”だそうだ*9

 床にあお向けに寝て足を壁に投げかけるという、女性サウナではときどき見かける光景が「こつ」とされているのは意外でした。

 このように、サウナは本来「トルコ風呂」のような、性的なサービスと結びつくものではないのだ、という主張から、フィンランド人の意見などが紹介されることも、1960年代・1970年代にはありました。

サウナ 神聖

(画像出典:サウナの本場 フィンランドに伝わる7つの名言 | ヒダネ.net) 

 

サウナの「本場」フィンランド

 そもそも日本でも昔からサウナの本場はフィンランド、という認識はもちろんありましたし、フィンランド式の、石を使った対流式のストーブは「本場のサウナ風呂」として広告でもアピールされていました。例えば、これは1966年の新聞に掲載されている中山産業株式会社(現メトス)の広告です。

(画像出典:『読売新聞』1966年6月26日、朝刊)

 

 また、「トルコ風呂」ではない普通のサウナに関しても、本場フィンランドから見ると日本のサウナは違う、というようなことが昔から言われています。例えば、1972年5月1日の『毎日新聞』には、日本でもサウナが増えてきたこと、しかし本場フィンランドから見ると「本物とはほど遠い」ものであることが指摘されています。

最近、日本でもサウナ・ファンがふえ、東京、大阪はもとより、ちょっとした都会なら「サウナ」の看板を捜すのに、そう苦労しない。(中略)サウナぶろはわれわれ日本人にもなじみ深いものになった。それでもフィンランド人にいわせると「日本のは本物とほど遠い」(フィンランド大使館)ようである*10

 そして、この記事ではフィンランドのサウナ文化について詳しく取り上げられています。

サウナは、この国の人々にとって生活であり、娯楽であり、儀式(ここが肝心)である。起源はさだかでない。千年前からあった、いや二千年前からあったと、文脈によってまちまちだが、イルメリ・ビヘルユーリという人が書いた「サウナ」によれば「起源の問題はたいして重要ではない」のである*11

 こうした記述により、フィンランド人にとってサウナがどのようなものかをうかがい知ることができます。そして、サウナ浴の様子については次のようにまとめられています。

木と水さえあれば、サウナはどこにでも作れる。カマドに積んだ輝緑石を熱し、室温が摂氏百度から二百度に上がった小屋に一糸まとわずはいる。シラカバの小枝の束を水に浸し、からだをたたいて汗を流す。これだけのことだが、この簡単さこそが、サウナを連綿と伝え続けてきた秘密だといわれている。そして、その簡単さの中に歴史の重みと”サウナ道”とさえいえる深みがあることを知らねばなるまい*12

 100℃から200℃、かなり高温です。フィンランドのサウナは温度は低め、湿度で温まるというイメージがありますが、この記事で紹介されているフィンランドのサウナ小屋はかなり高温です。シラカバの小枝の束、ヴィヒタについても取り上げられています。そして、このシンプルな入浴法に「サウナ道」とさえいえる深みがあるとしています。

 かなり高温のサウナ室ですが、もちろんロウリュについても書かれています。

サウナ小屋にはいった人はまず、熱い輝緑石にヒシャク一杯の水をかける。水は水蒸気を通り越してジュッとばかりに完全気化してしまう。この蒸気をフィンランドでは「ロール」と呼ぶが、これは「魂」を意味する「リル」から出た言葉である。「サウナの中では教会にいるようにふるまえ」と昔の人はいったそうだ。だからいまでも、サウナにうるさい人は、石に水をかける行為を一種の儀式と考えている*13

  1972年の新聞において、Löylyは「ロール」と表記されています。そして、これが「魂」を意味する「リル」に由来するということも紹介されています。そしてここでも、「サウナの中では教会にいるようにふるまえ」という格言が紹介されています。

ロウリュ

(画像出典:Finnish sauna tradition seeks UNESCO recognition | poandpo.com

 

 ロウリュとヴィヒタがないところが、日本のサウナが本場フィンランドのものと違うところだと記事は続きます。

フィンランド人は、日本のサウナを「ドライ・サウナ」と呼んで区別するが、これは水かけの”儀式”と水を含んだシラカバの束がないことをさしているのである*14

 乾式・湿式の区別で言うと、ロウリュができるサウナも乾式サウナですが、それとは別にロウリュがない、ヴィヒタを使わない日本のサウナをフィンランド人が「ドライ・サウナ」と呼んで区別したということです。もしかしたら私たちが使っている「ドライサウナ」という言葉は、ここからきているのかもしれません。

ドライサウナ

(画像出典:ホテル阪神大阪 メンズスパ&サウナHP

 

 この記事では、芸術文化の中のサウナや、政治とサウナなど、フィンランドでいかにサウナが生活に根付いているかということも紹介されています。

フィンランドの文化は文学、音楽、美術、なんであれ国民叙事詩「カレワラ」の影響を強く受けている。(中略)「カレワラ」の主人公たちは、サウナをこよなく愛した。たとえば、フィンランド国民ロマン派の巨匠、ガレン・カレラの有名な絵「アイノ」は、この叙事詩の中で主人のためにサウナ用のシラカバの束を作る忠実な召使、アイノを描いたもの*15

 ガレン・カレラの絵は、MEISTERDRUCKEというサイトで見ることができました。アイノに関する絵かなと思われるものはこちらです。

(画像出典:MEISTERDRUCKE、ガレン・カレラ、Aino Myth, TriptychnSuomi: Aino...1891)

 

 他に、「サウナで」(In the Sauna)という作品もありました。

 また、大統領が国賓をサウナに招待するということも、記事ではとりあげられていました。

大統領は国賓を必ず自分のサウナ小屋に招待することになっている。むずかしい話も、互いにハダカを見せ合って語れば、事すらすらと運ぶ、これは、だれでも理解できる真理である。日本の戦国時代、武将たちの間に茶の湯がもてはやされたのとよく似ているが、違うところは茶の湯が”道”に走り、サウナが生活に密着しているところである。事実、サウナはフィンランド人にとって生活そのものだ*16

茶道

(画像出典:「国よりも茶器が高し」戦国武将が愛した茶の湯は武士のステータス? | ライフハック アナライザ)

 

 日本の戦国武将との比較もおもしろいです。この記事には、湖に飛び込むフィンランド人の写真が掲載されており、キャプションには、「サウナで熱し切ったからだで氷の湖に飛び込む。これこそ本場サウナ道の極致だ」*17とあります。サウナの本場フィンランドについて、詳しく紹介した記事が1970年代の新聞にもあるということですね。

 

日本のサウナと日本文化

  このように、さまざまな点から日本のサウナと本場のサウナは違う、ということが度々紹介されてきています。本場のサウナはどういうものか、フィンランドではサウナがどういう位置づけにあるのか、こうしたことが度々紹介されても、日本のサウナはフィンランドのようにはならなかったわけです。

 もちろん、住宅事情や環境の違いもありますが、サウナ室・浴室もフィンランドのものとは違うものが多いことには、やはり文化の違いもあるでしょう。

 日本サウナ・スパ協会技術顧問で、METOSの前身「中山産業」の元取締役の中山眞喜男は、日本最初のサウナであるスカンジナビアクラブを造ったときを振り返り、次のように話しています。

で、それを造る時は、フィンランドに設計させたと思うんですけど、やっばり文化の違いっていうんですかね。
フィンランドからきた図面を見ると、サウナがあって水風呂があって、あとはシャワーがズラーッ並んでるだけなんですよ。
それはフィンランドでは当たり前のことなんですけど、日本人になると、お風呂のお湯がなきゃ困るとか、体を洗うカランがなきゃイヤだとか………だから内容的にはずいぶん日本風にアレンジしたんですよ。
それが今の日本独自のサウナの始まりになったんでしょうけど。ただサウナそのものはフィンランドそのサウナの作り方そのものだったんですよ*18

 フィンランド式のサウナを日本に作ろう、ということになっても、文化に合わせて日本風にアレンジされるということでしょう。本場のサウナはこうだ、フィンランドではサウナとはこういうものだ、という情報があっても、やはり日本では日本人に合った形でサウナが作られ、普及したということですね。

 サウナが日本に入ってきたときから、普及していく過程で度々フィンランドのサウナ文化は「本場」のものとして取り上げられ、紹介されてきました。本場に近いものばかり作るという道もあったかもしれませんが、それはなじまなかったのでしょう。日本に入ってきたら日本人に合わせた形で根付いていくのが自然なわけで、それが邪道、間違い、ということにはなりません。

 

 今回は、サウナの文脈でフィンランドがどのよう紹介されてきたかについて、フィンランドのサウナ文化を紹介している古い新聞記事についてまとめてみました。「本場」であってもそれが海外で求められる「本物」とは限らないわけで、いろいろなサウナを楽しめるのが利用者としてはありがたいところです。

 

参考文献・資料

SAUNNERS「日本のサウナ誕生秘話、そしてサウナの知られざる裏話。日本サウナ界最強の泰斗・中山眞喜男氏 降臨!」、2018年5月16日

『毎日新聞』、1972年5月1日、「お国自慢=フィンランドのサウナ」、夕刊

『読売新聞』、1952年6月2日、「蒸し風呂もある五輪村/ヘルシンキ」、朝刊

『読売新聞』、1964年3月4日、「トルコブロ」、朝刊

『読売新聞』、1964年9月12日「本場そっくりと大喜び フィンランド大使 寄贈のムシブロを見る」、朝刊

『読売新聞』1977年10月6日、「サウナは性域でなく聖域である」、朝刊

 

 

*1:『読売新聞』、1952年6月2日、朝刊

*2:『読売新聞』1964年9月12日、朝刊

*3:同上

*4:同上

*5:『読売新聞』1964年3月4日、朝刊

*6:『読売新聞』1977年10月6日、朝刊

*7:同上

*8:同上

*9:同上

*10:『毎日新聞』、1972年5月1日、夕刊

*11:同上

*12:同上

*13:同上

*14:同上

*15:同上

*16:『毎日新聞』、1972年5月1日、夕刊

*17:同上

*18:SAUNNERS