サウナの「ヌシ」については、おもしろおかしく語られたり、女性サウナあるあるとして取り上げられたりします。女性のサウナ好きのみなさんは、黙認したり、避けたり、静かな戦いを繰り広げたり、日頃からいわゆる「ヌシ」と何らかの形で付き合っているのではないでしょうか。今回は、そんな「ヌシ」について考えてみました。
常連の心理
「ヌシ」という言葉は、単純にいつ行っても見かける常連という意味で使われることもありますが、常連の中でもそこのルールのような、いつもいて、場合によってはあれこれこちらの利用の仕方にコメントをしてくるような存在のことを言う場合が多いようです。常連が必ずしも「ヌシ」と呼ばれるわけではないですが、「ヌシ」の条件として、いつもいる常連である、ということはあげられるでしょう。
(画像出典:『湯遊ワンダーランド』)
常連という存在は、お店にとっては基本的にありがたい存在だと考えられます。例えば、飲食店経営のセオリーの一つに、全体の客のうち7~8割がリピーター客で、残りの2~3割が新規客であることが理想的であるというものがあるそうです*1。リピーターがすなわち常連ではないですが、繰り返し頻繁に来てくれる常連客は当然、店にとってはありがたい存在でしょう。それは温浴施設についても同じです。『銭湯の番台が心がけている常連さんが増える会話のコツ』という本では、銭湯の番台の立場から、常連客を増やすためにどのようなコミュニケーションを心がけるべきかということがまとめられています。
一方、その店にいつも行くわけではない客にとって、常連の存在が厄介に感じられるケースもあります。「ウザい常連客になってませんか?店員からもウザがられる常連客の振る舞いとは」という記事では、飲食店の客について、男女1500人を対象に行ったアンケートの結果として「常連客に対し『うっとうしい』と感じたことがある」と答えた人は32.2%にのぼるとされています。つまり「約3人に1人が多かれ少なかれ常連客に嫌悪感を抱いた経験がある」*2のだというのです。その理由として、「自分の店であるかのような傲慢な態度」、「自分の家のようにくつろぐ」というものがあげられています。サウナの「ヌシ」にも、自分の家かな、と思うような使い方をしている人がいます。
(画像出典:ぽかなび.jp)
飲食店にしても温浴施設にしても、常連客に見られるこうした態度は、いわば「私物化」です。サウナの「ヌシ」についても、店のルールとは別にその人なりのルールがあったり、「指定席」のような決まった座る位置、使うカラン、使うロッカーがあったりします。こうした「私物化」は一種のなわばり意識からくると考えられます。
ガラガラなのに隣に来る「トナラー」が最近話題になりましたが、「トナラーの心理13選!ガラガラなのに隣に座ってくる人の理由や対策とは?」という記事で、「トナラー」の心理の一つとして「自分の指定席だと思っている」という点があげられています。そして、これは常連客がいるような店で遭遇することが多いとも指摘されています*3。毎日行く店、毎日使う場所について、「ここは自分のなわばり」という意識を持ち始めてしまうということがあるのでしょう。なわばり意識については、例えばデスクの周囲に仕事とは無関係のものをたくさん持ち込む人は「心理学的には、そうした行為によって自分の縄張りを主張していると見ることができる」*4と言われています。サウナ室にいろいろな私物を持ち込むのも、ある意味なわばり意識の表れなのかもしれません。
男女サウナの違い
「ヌシ」というとやはり女性側、女湯の話としてよく語られます。例えば次のような行動は女性サウナの「ヌシ」のあるあるではないでしょうか。
・銭湯サウナの鍵をさしっぱなしにする
・物をはさんでサウナ室のドアを開けっぱなしにする
・自分用のマットでいない間も場所取りをする
・さまざまな物を持ち込む(タライ、ローラー、本など)
・浴室の椅子を持ち込む
・自分の場所と思っているカランがある(使うと怒る)
・サウナスーツにくるまる(サウナ室で広げて干す)
・とにかく一挙手一投足見てくる
・上段は熱すぎるから下に座りなさいなどアドバイスする
・パックをする
・サウナ室に水をまく
・サウナ室内・ストーンの上で自分のタオルをしぼる
・タオル・下着を干す
・とにかくしゃべる
これらは、女性にとっては「サウナあるある」だと思いますが、男性側ではまず見かけないのではないでしょうか。
最近は、温浴施設も新型コロナウイルス感染防止対策としてさまざまな工夫をしています。サウナマットを減らしたり、サウナ室内での会話を控えるよう呼びかけたりしていると思いますが、女性サウナではそうした店側の対策も無視して、サウナマットを動かす、しゃべる、という客も見かけます。また、洗い場がガラガラでも、自分の場所というこだわりからか隣に来る人もいます。ソーシャルディスタンスよりなわばり意識、と感じてしまいます。
一方、男性側で「昨今のサウナブームで来るようになった若者のせいで常連客の居場所がない」というような話を聞くことがあります。逆に、こうした現象は女性側ではあまり見られません。人数的に若者の方が多かったとしても、力関係は常連の方が圧倒的に強いからです。
こうした男女浴室での違いはどこからくるのでしょうか。
(画像出典:『サ道』)
「ヌシ」が生まれる仕組み
男女の差、ジェンダーの問題として男性はこう、女性はこう、とは言いたくないですが、男女の心理という観点から、常連の行動や考え方の傾向にも差があることが指摘されています。
心理コーディネーター・経営コンサルタントの織田隼人は「男性は"戦友"、女性は"お姫様" - 男女で異なる常連客の扱い」という記事で、「常連の心理」の男女差についてまとめています。
この記事では、女性の「私と仕事、どっちが大事なの?」というセリフから、女性は親密な人ほど自分の優先度を上げてくれる、という考え方をすることがわかるとしています。一方男性は、親密であれば後回しにしてもゆるされるだろう、と考える傾向にあると言います。これをもとに、常連客への接し方も男性と女性とで違ってくるとされています。この記事では、男性客は「『黙っていても通じ合える』関係(中略)別の言葉で言い換えるならば、『戦友』的な関係」*5だと言います。「マスター、いつもの」で通じるような、黙っていても通じ合うことができて、忙しいのであれば自分は後回しでよい、と考えるのが男性の常連心理だと言うのです。
(画像出典:写真で一言ボケて (bokete))
一方、女性の常連は「『お姫様的』常連関係」*6を求めがちだと言います。女性が親しい相手に求めるのは優先度を他の人より上げてくれることなので、他のお客さんより優先してほしい、と考えがちだということです。
(画像出典:男心と女心 織田隼人著: 常連の対応)
この記事は、店側に対するアドバイスとして、こうした男女の違いを理解しているとより常連へのサービスが適切にできる、ということで男女の心理の違いをとりあげています。
当然、みんながみんなそうではないですし、あくまで傾向の話ですが、この記事にある常連意識の違いを応用するのであれば、女性の常連は私が一番このお店と親しいのだから、私が一番良い場所を自由に使っていいはず、私が過ごしたいように過ごせるように店側はしてくれるべき、と考えても不思議ではありません。また、ブームによって来るようになった若い客のせいで常連の居場所がない、ということが女性側で見られないこととも関係するかもしれません。
ただし、サウナの場合はこうした男女の心理の差だけの問題ではなく、環境も大きな要因であると考えられます。男性が思っている以上に、女性サウナ室は空いています。比較的人気のあるところでも不便を感じるような混雑はなく、銭湯サウナなどはサウナ室に自分一人、ということも珍しくありません。利用が少ないためか、自分が行くまでは電源を落としているという銭湯サウナも少なくないです。受付をすると、電源を入れてくれる、という形です。
その時間帯、いつも自分しかいない状態が続くと、たまたま他の客が居合わせるだけでもいつもより不便だな、と感じてしまうものです。つまり全体の利用の少なさのせいで、本来いろいろな人と共用の公衆浴場でありながらいつも自分(自分たち)しか使っていない状況が簡単にできてしまうわけです。もともとたくさんの人が利用していれば、自分が座りたい場所に他の人が座っている確率が高くなり、こだわってもいられません。しかし、9割くらいは自分の思い通りに使える環境となると、残りの1割について不快感をおぼえ、私の場所だ、と思うようになってしまうのでしょう。利用率の違いも大いに関係があると言えます。
どうすればよいか
「ヌシ」と聞くと年配の人を想像する人も多いと思いますが、比較的若い人である場合もあります。年齢とは関係なく、そこにどのくらい通っているかということが重要です。
今、「ヌシ」に対して、いやだな、過ごしにくいな、と思っているサウナ好きも、果たして自分が「ヌシ」にならないと言い切れるでしょうか。女性サウナは利用が少なく、多くの女性は「貸し切り」状態を比較的高い頻度で経験していると思います。いつもここに座る、というお気に入りの場所があったりもするでしょう。今日も静かに一人でいつもの位置に座って楽しむぞ、と思って入ったところ、普段はいない数人のグループ客がそこに座っていたら、残念に思うことはあるでしょう。また、「セッティングは別によくないけど、とにかく人がいないからあそこのサウナが好き」という声を聞くこともあります。そして、いつも自分が行っているサウナについて、誰かが発信しているのを見ると思わず「私の〇〇に来てる!」と、良くも悪くも感じてしまうことはないでしょうか。また、中学校や高校で、早く上の学年にあがりたい、と思いながら先輩と付き合っていた人もいると思います。この人たちが卒業したら、自由に活動できるのに、あのポジションに自分がなれるのに、という、そうした気持ちがサウナにもないでしょうか。「ヌシ」は容易に再生産されていくものだと考えられます。
どうしたら、共用のサウナの「私物化」がなくなるか、そういう「ヌシ」が生まれなくなるか、これはやはり利用者が増えるしかないのではないでしょうか。「ヌシ」化する仕組みには、人が少ないということが大きく関係していると考えられます。全体の利用が多くなれば、「その他大勢」がいつでもいるようになれば、「ヌシ」は生まれにくくなるでしょう。
また、お店側がルールをきちんと示すことも重要です。もちろん、いくら張り紙をしても、いくらルールを作ってもそれを守らない人はいます。店によっては、サウナ室のドアを開けっぱなしにしないでください、と店員が言いかけて、あ、あなただったの、とゆるして出ていくような光景も見かけます。一方で、ドア開けを数回注意したのち改善が見られなかったためその人を出禁にしたという店もあります。
常連客はお店にとって大事な存在なのはよくわかります。来るかどうかわからない新規客のために、常連を手放すことはできない、と思う気持ちもわかります。しかし、実はその1人の「常連の過ごしやすさ」のために、10人の新規客を失っている可能性もあるわけです。いやな「ヌシ」がいるところには、もう行かなくていいかな、と思う人もいるでしょう。黙って、もう来ない、ということは多々あります。そうすると、そのサウナは新しい客が増えないので、更に「ヌシ」はそこを私物化できてしまうという悪循環が生じます。
「良いヌシもいる」というような声を聞くこともあります。「人生の勉強になるような話をしてもらった」「優しいヌシだった」というような感想です。単純に「常連」という意味で「ヌシ」という言葉を使っているのかもしれませんが、施設を「私物化」しているけれど自分にとっては都合の悪くない、優しい「ヌシ」だった、という場合もあるでしょう。しかし、その人が良い人かということと、公共の場を私物化していいのかということは別の問題です。公共の場は、「共有」という大前提のもとで、個人では使えない資源を使うことができる仕組みになっています。図書館も、個人であれだけの本を購入すれば莫大は費用がかかりますが、共有するという仕組みのもとで私たちは膨大な本にアクセスすることができるわけです。温浴施設も同じです。共有するという仕組みだからこそ、広い浴室、サウナ、水風呂を使うことができるわけです。その仕組みの中で、毎日のように通っているから、というだけでそこを「私物化」する人がいるのは問題であり、潜在的に新規のお客さんを逃している可能性も高いわけです。
今回はサウナの「ヌシ」について考えてみました。サウナ利用者が増えるためにも、「ヌシ」については「おもしろおかしいあるある」に留めずしっかり考えていく必要があるのではないでしょうか。常連は大事ですが、公共の場を「私物化」する「ヌシ」は決して必要悪ではありません。それぞれのお店が新型コロナウイルスの感染防止対策を試みている今、改めてしっかり考える必要があるように思います。
参考文献
BELCY、「トナラーの心理13選!ガラガラなのに隣に座ってくる人の理由や対策とは?」2020年2月9日(最終アクセス日:2020年6月27日)
石川海老蔵「ウザい常連客になってませんか?店員からもウザがられる常連客の振る舞いとは」『excite.ニュース』、 2015年3月28日(最終アクセス日:2020年6月27日)
織田隼人「男性は"戦友"、女性は"お姫様" - 男女で異なる常連客の扱い」、『マイナビニュース』、2011年3月7日(最終アクセス日:2020年6月27日)
渋谷昌三(2017)『決定版 面白いほどよくわかる!他人の心理学』、西東社
田村祐一(2015)『銭湯の番台が心がけている常連さんが増える会話のコツ』、 プレジデント社