Saunology -Studies on Sauna

Saunology -Studies on Sauna-

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女性のサウナブームの歴史

 「サウナブーム」と言われる中で、女性のサウナ好きの増加が指摘されることもあります。サウナの特集などでも「サウナはおじさんのものではない」というようなことが言われたりします。男性専用施設を解放する「レディースデー」も増えました。しかし、「サウナは男性だけのものではない」という女性の主張は、今に始まったことではないようです。昔のサウナブームの際にも、同じような主張がありました。今回は、女性のサウナブームの歴史について見てみます。

 

1960年代の女性サウナ

 女性のサウナ浴についての古い記述として、1967年の『毎日新聞』、「現代夫婦館」というコーナーの「サウナ女房」という回があります。「現代夫婦館」というのは、「現代の夫婦のすがた」を取り上げるコーナーです。戦前とは違って、男性が弱くなり、女性が強くなった、というようなバックグラウンドから「〇〇亭主」もしくは「〇〇女房」という形でエピソードが紹介されています。「サウナ女房」は1967年1月12日に掲載されています。

サウナ女子

(画像出典:『毎日新聞』1967年1月12日、朝刊)

 

 学生時代にはスポーツをやっていてスリムだった女性(品子夫人)は、スポーツをやめてから太り出し、痩せたいと思ってサウナに行ってみる、というエピソードです。品子夫人がサウナに興味を持つところは、次のように書かれています。

ある朝、品子夫人はデパートの新館にサウナぶろ(熱気ぶろ)が開店したという広告を見た。「森と湖の国フィンランドからやってきたサウナぶろ。ムダな脂肪を除き、毛穴を開いてハダをひきしめ、あなたを美しくします!」やせたうえに、美しくなれる!お値段は一回千五百円。亭主を会社に送り出したあと、彼女がいそいそとそこへ出かけたのはいうまでもない*1

 こうしてサウナに行ってみることにした品子夫人、彼女が行ったサウナの様子も描写されています。

さすがデパート経営のサウナぶろだけあって、驚くべきデラックスなムードであった。まず入口の奥はグリーンのじゅうたんを敷きつめた休憩室。等身大の鏡の前には高級化粧品がずらりとならんでいる。ロッカー室で服をぬぐと、サウナ嬢が、ピンクのタオル・ガウンをハダに着せてくれた*2

 高級感があります。「サウナ嬢」という単語が出てきますが、そういう呼び方があったのでしょうか。ニュージャパン スパグランデのようなイメージでしょうか。

 

スパグランデ

(画像出典:SPA GRANDE | ニュージャパン観光株式会社 HP)

 

 そして、品子夫人のサウナ浴の様子も書かれています。

温水ぶろでまず体を清めてから、片すみのサウナ室のドアをあけて、中へはいる。摂氏八十度から百度の熱気がたちこめる内部のイスにすわると、汗がだらだら流れる。かぐわしいニオイがするのは、香花石から発するニオイだ。そこを出ると冷水ぶろにつかって再び熱気室へ戻り、また冷水ぶろにとびこむというぐあいに、冷熱の刺激を数回くり返すと、体中のよごれがすっかり押しだされてしまったような快さ*3

 「水風呂のはじまりを考える」で、1970年代にはサウナと水風呂をセットで楽しむことは定着していたことを確認しましたが、1967年の品子夫人もサウナと水風呂のセットを楽しんでいることがわかります。香花石のニオイ、石を使った対流式のサウナ室ですね。遠赤外線サウナが登場するのはもう少しあとなので、1960年代・70年代のサウナは石を使ったものが中心だったと考えられます。温度も80℃~100℃と、なかなか良さそうなサウナです。

 サウナを楽しんだ品子夫人はそこからサウナにはまります。「品子さんはそれから何回も、サウナぶろにかよった」*4とあり、毎週サウナに行くようになったとされています。しかし、やせることはできなかったようです。

ある日、亭主がいった。「きみは毎週サウナぶろへ行っているそうだが、やせるどころか、ますます太ったじゃないか」「ええ、私はやせるつもりで行くのだけれど……でも、サウナを出ると、とてもおなかがすいて、倒れそうになるの。サウナを出たところに中華料理屋があるものだから、つい二人前食べちゃうの」品子夫人はそういって、すまなそうにめを伏せた*5

 サウナに入るとおなかが空いてたくさん食べてしまうので、やせるどころか太ってしまう、というオチも、今と変わらないですね。サウナ飯は美味しいものです。

 何にせよ、こうした女性が入れるサウナがあり、品子さんのようにサウナ通いをする女性が1960年代にすでにいたということがわかります。そして、女性のサウナ熱はさらに加速していきます。

 

1970年 日本サウナ党婦人部の誕生

 1970年6月、「男だけのものではないー女性ファンが結党」というタイトルで、日本サウナ党の婦人部が結党されたことが報じられています。前年の1969年6月に日本サウナ党が結党され、1年後に女性たちの婦人部ができたということです。記事の出だしは「サウナは、男性だけのためにあるんやおまへんえ」*6となっています。記事の中で女性のサウナ利用が増えたということが指摘されています。

これまで男性専用だったサウナに、ここ数年、美容と健康を兼ねて通う女性客がどっとふえ「サウナも我らがもの」と立上がったというわけ。 この”党勢拡大”を背景に、都内にあるレディース・サウナはどこも商売繁盛*7

 

ルビーパレス

 

 1960年代にも女性が入ることができるサウナがあったことは、先の「サウナ女房」からうかがえますが、品子夫人のようにサウナに通う女性が1960年後半から1970年にかけて増えたということですね。結党大会には、約100人の女サウナ党員が参加したそうです。なかなかの規模です。

愛好家の紳士諸君が、昨年六月、同党を結党したのに続いて、高まる女性のサウナ熱をバックに婦人部をつくった。結成大会には約百人の女サウナ党員が出席「清潔なサウナを普及させよう」と気勢をあげた*8

 この記事には、広告代理店KSエジェンシーが新宿OL、100人を対象に行った調査の結果として、次のような結果も載っています。

「サウナは男性だけのものではない」96%

「私もサウナにはいりたい」89%

 どういうOLにどのように尋ねたか、詳細は書かれていませんが、この結果だけ見ると多くの女性がサウナに興味を持っているように見えます。そして、実際に女性のサウナ人気が増す一方で、女性用の施設も増えたことがうかがえます。

このように女性のサウナ人気はうなぎ登りで、婦人専用のレディース・サウナは昨年あたりから雨後の竹の子のようにふえて四十軒*9

 

大東洋レディスサウナ

 (画像出典:大東洋レディスサウナ【公式】 Twitterアカウント)

 

  レディース・サウナが四十軒。良い時代です。そして、人気があるがゆえに「それだけにどこのサウナも、特色を出そうと知恵比べ」*10と、各施設がいろいろと工夫をしていたことも書かれています。ただ、女性のサウナ客が、施設の工夫などあまり気にしていなかったことも指摘されています。

しかし婦人客にとって、一番の関心は、入浴に来るタレントの顔ぶれ。「どこそこのサウナには、だれだれサンが来るのよ」と、クチコミ情報が乱れ飛ぶ。(中略)「こんな評判は男性サウナにはない話」と同党斉藤繁人事務局長はあきれ顔。女が女を見るー。女性は生来のナルシストというべきか*11

 当時の女性サウナ客に聞けば、自分はそういうタイプではない、と言う人も多そうです。全員が全員、どこのサウナにどういうタレントが来るかにばかり興味を持っていたわけではないでしょう。この記事には、「都内の全サウナにはいる悲願をたて、半分は通った」*12という25歳の女性についても触れられています。どこに誰が来る、などではなく、いろんなサウナに入ってみたい、とサウナ巡りをしていた女性もいたわけです。とはいえ、「男性とは違ってそういう傾向がある」ということが指摘されているわけです。

 いずれにせよ、1970年、つまり50年ほど前にすでに「サウナは男性だけのものではない!」という主張があり、100人もの党員が集まってサウナ党の婦人部を結党しているのです。これはなかなかの盛り上がりだと言えます。今よりもずっと、女性のサウナ熱は強かったのではないでしょうか。そして、50年前、当時20歳だった人が今70歳くらいということですから、今のサウナの常連さんたちの中には、この頃からサウナに通っている人もいるのでしょう。

 

1980年代 オジンドロームとサウナ

 1980年代にも、女性のサウナ利用が増えたことが報じられています。1988年の『読売新聞』の記事には、次のような記載があります。

かつてのサウナには暗いイメージがあった。二日酔いざまし。終電車に乗り遅れてそのまま仮眠……。
今は違う。健康ブームに乗って、ビジネス街のサウナは急速に変化している。ホテルと見まがう豪華な内装。日焼けサロン、アスレチックジムまで備えた同店はそこらのヘルスクラブにひけをとらない。入浴料五千円以上の高級サウナは接待族で大にぎわい。美容室を併設した女性用サウナも各所に出現している*13

 女性用サウナができてきているとされています。1980年代には、居酒屋やサウナを楽しむ女性たちが「オジンドローム」(おじん行動症候群)という言葉で形容され、新聞でも紹介されています*14

 1988年には、女性優位の銭湯のオープンを報じる記事もあります。「サイタマ健康ランド熊谷」です。この施設、「おふろの規模もロッカーの数も『女性優位』」*15だといいます。記事の中で支配人は「ふろやサウナを楽しむ層は、今やお年寄りや男性から若い女性や主婦へと急速に広がっています」*16と話しています。

サイタマ健康ランド

(画像出典:サイタマ健康ランド(閉館しました) | ニフティ温泉 HP)

 

 1980年代にも、女性もサウナを楽しむようになった、と報じられているわけです。「オジンドローム」という表現から、サウナはこの時点でも「おじさん」の趣味という位置づけであり、それを楽しむ女性が増えてきた、という文脈であることがわかります。

 

繰り返す女性のサウナブーム

 女性のサウナブームの歴史を探る上でヒントとなる今回の新聞記事の特徴と記事内容をまとめてみました。

サウナブーム

 

 こうしてみると、「男性のものだったサウナを女性も楽しむようになった」「サウナは男性だけのものではない」ということが繰り返し報じられているということがわかります。つまり、「女性も行くようになった」というところから、また男性だけの趣味に戻っているということです。例えば1970年のサウナ党婦人部結成のところから、サウナの利用が男女同じような状況が続いていたら、その後「女性もサウナに」「サウナは男性だけのものではない」というフレーズは出てこないはずです。つまり、一時の盛り上がりを見せながら、女性のサウナ文化は一度も根付いてこなかったということです。

 結局どこかの時点で、やはり男性の利用者が多いという状況になり、「サウナは男性のもの」という印象のまま、時折「女性も行くようになった」と取り上げられるということの繰り返しなのです。

 女性にサウナが根付かない理由はいろいろあるでしょう。サウナに限らず、銭湯などの利用自体に男女で差があるということも考えられます。銭湯に関していえば、厚生労働省の業種別マニュアル「今日から実践!収益力の向上に向けた取組みのヒント 公衆浴場業編」でも「銭湯の中心客層は男性・高齢者」*17と指摘されています。このマニュアルは2019年3月発行のものですが、ここでは男性と中高齢者が「中心客層」であり、若年層・女性客・ファミリー客の獲得が課題であると指摘されています。

単身世帯の温泉・銭湯入浴料の年間支出金額(2010年)をみると、男性平均が3,650円に対し、女性は2,593円と、男性が女性の約1.4倍支出しています。(中略) 銭湯経営の課題は、中心客層である男性・中高齢者から、若年層、女性客、ファミリー客の開拓・獲得であると言えます*18

 スーパー銭湯などの利用を見ると、また違う傾向もあるかもしれませんが、銭湯に関しては女性より男性の利用が多いといえそうです。また、34歳以下と60歳以上の温泉・銭湯入浴料の年間支出額を比較すると、男性よりも女性の方が、その差が大きいことが指摘されています。

60歳以上では、34歳以下より、男性で約3.3倍、女性で約4.5倍支出しており、高齢になるほど支出金額が多いことも分かります*19

 若干ではありますが、女性の方が、若い人と60歳以上の人との差が大きくなるということです。女性も中高齢者になれば利用が増える、若いときには利用が少ないという傾向があるとすれば、そこには女性の生き方・働き方が関係していそうです。

 サウナが女性に根付かない理由の一つに、出産・育児で行けなくなるということもあるでしょう。今でも、まだまだ育児は女性が中心の家庭が多いように思いますし、60年代~80年代はさらに、子供のいる女性はサウナに定期的に行くことが難しかったのではないでしょうか。分担をしたとしても、妊娠中、出産直後など、行けない期間が女性の方が多いのは間違いないでしょう。子育てをしていて、ということもありますが、そうでなくても夜に出歩くのが男性に比べてためらわれるということもあるかもしれません。

 また、働き方の違いも関係がありそうです。今は、女性もさまざまな仕事をしていますが、「男女雇用機会均等法」が「勤労婦人福祉法」の改正法として施行されたのが1986年ですから、かつてのサウナブームの頃には状況は違ったと考えられます。出張などでサウナ付きのカプセルホテルに泊まる、というような機会は、働き方を考えても男性の方が多くなると考えられます。

 子育てなどで長期間行けない、ということとは違いますが、男性と違って生理があるということも、利用者数の差には関係がありそうです。個人差はありますが、月に平均1週間くらい行けないとすると、行きたいという気持ちのある人の中の1/4は行けない、ということになります。

 そして、女性サウナの雰囲気というのも関係があるかもしれません。1970年の日本サウナ党婦人部結党を報じる記事には、女性客がどこにどういうタレントが来るという話ばかり、ということが取り上げられていました。また、女性サウナ室内の会話について次のような記述もありました。

「そう、奥様は指輪の自慢話か、美容か、セックスね」政治問題の話題なぞ、ついぞ聞いたことはないという。女サウナは当世浮世風呂か。平和っていいなあ*20

 これも、みんながみんなそうではなかっただろう、と思うと同時に、サウナ室がおしゃべりの場となっているのは昔も今も同じなのだなとも思います。常連同士の悪口や、見慣れない客の悪口など、ネガティブな会話を耳にして居心地が悪いこともあります。「女湯」の雰囲気というものも、女性にサウナが根付かない一つの理由かもしれません。

 女性の生き方・働き方は、60年代・70年代・80年代、そして現在で違っているでしょうから、どこかの時点で、女性にもサウナ文化が根付くということはないとは言い切れないですが、過去50年の歴史を見るに、これからも同じような傾向が続くのではないかとも思われます。

 

 今回は、女性のサウナブームの歴史について見てみました。日本においては、サウナは男性との親和性が高く、女性の日常的な利用にはなかなか結び付かない、少なくとも男性ほどの利用にはならないということのようです。しかし、今はこうした流れの中で、「ブーム」がきている時期といえます。また1970年頃のように、女性向けの施設が増えたら楽しいですね。

 

参考文献・資料

『朝日新聞』、「女性(´86世相語年鑑・1~7月)」1986年7月16日、朝刊

『朝日新聞』、「中森大雄総支配人 女性優位の銭湯登場(こんにちは)」1988年6月23日、朝刊

厚生労働省、「今日から実践!収益力の向上に向けた取組みのヒント 公衆浴場業編」、2019年3月(最終アクセス日:2021年6月25日)

『毎日新聞』、「現代夫婦館 サウナ女房」、1967年1月12日、朝刊

『毎日新聞』、「男だけのものではないー女性ファンが結党」1970年6月7日、朝刊

『読売新聞』、「[流行最前線]裸になれば本音百出 サウナ、会議を踊らす?」1988年7月17日、朝刊

*1:『毎日新聞』1967年1月12日、朝刊

*2:同上

*3:同上

*4:同上

*5:同上

*6:『毎日新聞』1970年6月7日、朝刊

*7:同上

*8:同上

*9:同上

*10:同上

*11:同上

*12:同上

*13:『読売新聞』1988年7月17日、朝刊

*14:『朝日新聞』1986年7月16日、朝刊

*15:『朝日新聞』1988年6月23日、朝刊

*16:同上

*17:厚生労働省

*18:同上

*19:同上

*20:『毎日新聞』1970年6月7日、朝刊