『枕草子』の塩風呂の謎
『枕草子』に石を使った塩風呂が出てくる、だから平安時代には石を使った蒸気浴が一般的だったのだ、という文献をいくつか見かけました。『枕草子』に出てくるらしいという塩風呂の記述とは、以下の文章です。
塩風呂等に入ると同しく、その所にてたつるやうと聞きしに、小屋あって、其の中に石を多く置き、之を焚きて水を注ぎて湯気を立て、その上に竹の簀を設けてこれに入るよしなり、大方村村にあるなり
石に水をかけて湯気を立てる蒸気浴、それが村ごとにあったという記述です。これが事実なら平安時代の日本ではセルフロウリュが一般的だったということになります。しかしながらこの記述、実際に『枕草子』に出てくるものではなさそうです。
塩風呂という言葉
『枕草子』に塩風呂という言葉が出てくるということですが、「サウナと歴史 日本の蒸気浴の歴史~中古~」で見たように、「フロ」という言葉が文献上に初めて登場するのは平安末期の『山槐記』の治承2年(1178年)の記録「自風炉東奉文事」である*1と考えられています*2。だとすると、平安時代中期には成立していたと考えられる『枕草子』に「フロ」という言葉が出てくること自体、疑う必要がありそうです。
ただし、『枕草子』の成立は平安時代中期とされているものの、残っている写本は一番古くても鎌倉時代のものです。後の時代に追記されたとすれば、「フロ」という言葉が出てきてもおかしくはないでしょう。いずれにしても、清少納言が書いた『枕草子』にもとからあった文章とは考えにくいということですね。
石を使った蒸気浴
また、石を使った蒸気浴は昔の日本では一般的ではなかったという指摘もあります。焼いた石を使った蒸気浴について、武田勝蔵は三重県度会郡宮古村の獅子頭の神事のときに使われる石風呂を例にあげています。これは、焼いた石に池水を打ちかけて湯気を発生させる石風呂です。武田は、こうした焼石に水をかける蒸し風呂はトルコ式風呂と言われており、トルコから伝わったか、中国を介して伝わったものと考えています。奈良時代には既に中国人以外も日本に来ていたので、直接伝わった可能性もあると言います。三重県の宮古の石風呂は昭和40年(1965年)に県の有形民俗文化財に指定されていて、現在でも残っています。この神事のレポートを書いている方がいるので、興味のある方は下記のリンクをご覧ください。
宮古石風呂の復原断面略図( 三重県ホームページ「歴史の情報蔵」43神事用の「石風呂」 より)
しかし、日本ではこの焼け石に水をかける形の蒸し風呂は定着しなかったと言います。その理由について武田は「わが国の人々には水を沸かした洗場とか、その湯気利用の風呂の方が好まれたので、そのために石を焼くことは地方的な神事に僅かに残ったのではなかろうか」*3と説明しています。中世・近世の蒸気浴についてもこれから見ていきますが、確かに日本の蒸し風呂はお湯を用いたものが多い印象です。
そうだとすると、村ごとに石を使った蒸し風呂があったという記述が『枕草子』にあったとは、やはり考えにくいです。
広がる『枕草子』に塩風呂説
では、どうして『枕草子』に塩風呂の記述があるということになっているのでしょうか。例えば、以下の文献の中に、『枕草子』にこの塩風呂についての文章が出てくるという記述があります。
・藤浪剛一(1944)『東西沐浴史話』、人文書院、p.82
・山内昶(2001)「フロロギア」、『大手前大学人文科学部論集』、大手前大学・大手前短期大学、p.106
・八岩まどか(2002)『温泉と日本人』、青弓社、p.32
・日本サウナ・スパ協会(2004)「京の風呂案内」、『SAUNA』334号、p.4
・山内昶・山内彰(2011)『風呂の文化誌』、文化科学高等研究院出版局、p.151
しかし、どの文献も、それが『枕草子』の第何段に出てくるのか、引用元の情報を明記していません。恐らく、『東西沐浴史話』など古い文献の情報を信頼して、『枕草子』自体を見ないまま情報を引き継いでしまったのでしょう。
筒井功は、『枕草子』のどこを見ても該当の文章が見つからず、「そもそも文体からして清少納言のそれとは似ても似つかないことに、なぜ気付かなかったのか不思議である」*4と指摘しています。しかし、『枕草子』と言ってもいくつか伝本、バリエーションがあるのです。実際どうなのか、検証してみました。
『枕草子』のテキストいろいろ
平安時代に成立したと言っても、実際に平安時代に書かれたものが現代まで残っているわけではありません。いろんな人が手書きで写していったものの一部が現代に残っているのです。この現代まで残っているものを伝本、と言います。『枕草子』の伝本には、大きく分けて4つのバージョン(系統)があります。
なぜ『枕草子』が4種類もあるのでしょうか。人の手で写していきますから、そもそも細かい用語の写し間違いや加筆が古典文学には多々あります。更に、章の順番が変わったり、後の人の手によって大幅に加筆されてしまうこともあります。順番が変わったり、加筆されたものを『枕草子』そのものと思って写していく人たちと、もともとのものを写していく人たちがいると、複数の『枕草子』ができてしまうのです。これが『枕草子』の場合、大きく分けて4種類もあるということです。
また、『枕草子』の内容はこれまでの研究で「類聚段」「日記(回想)段」「随想(随筆)段」*5の3つに大別されています。それらも踏まえ、4つの系統を整理すると以下のようになります*6。
この4つの系統全てについて、これまでの研究で索引がまとめられています。索引を見ると本文に出てくる単語と、それが本文のどこに出てくるかがわかるようになっています。その索引で「塩」「風呂」「石」「小屋」「村」「焚く」という言葉があるか見てみましたが、どの系統にもこれらはありませんでした*7。つまり、塩風呂に関する文章は4系統のどれにも出てこないと考えて良さそうです。
『枕草子』には塩風呂についての記述を見つけることができませんでした。『枕草子』に塩風呂についての記述があるという情報は、もともとの『枕草子』を確認しないまま受け継がれ、広まってしまったのではないでしょうか。どんなにそれらしく書いてあっても、実際に元の資料にあたってみないとわからないこともあります。自分で実際に調べるという作業は手間ですが、見た情報を鵜呑みにすると自分が間違った知識を持ってしまうだけでなく、誤った情報を拡散してしまう可能性もあるわけです。自分で考え調べることは大切ですね。
参考文献
五十嵐力・岡一男(2002)『枕草子精講 研究と評釈』、国研出版
武田勝蔵(1967)『風呂と湯の話』、はなわ新書
筒井功(2008)『風呂と日本人』、文藝春秋
田中重太郎(1953)『枕草子評解』、有精堂出版
田中重太郎(1970)「枕冊子前田家本の本文について : 『校本枕草子』俯巻所収前田家本逸文を中心として」、『相愛女子大学相愛女子短期大学研究論集』17巻、相愛女子大学相愛女子短期大学、pp.130-138
田中重太郎(1974)『校本枕冊子 総索引第Ⅱ部』、古典文庫
中桐確太郎(1974)「風呂」、長坂金雄 編、『日本風俗史講座』第十巻、雄山閣出版、pp.495-644
枕草子研究会 編(2001)『枕草子大事典』、勉誠出版
参考資料
『延喜式』、黒板勝美 編、『交替式・弘仁式・延喜式』、『国史大系』第26巻、国史大系刊行会、1937年
*1:「サウナと歴史 日本の蒸気浴の歴史~中古~」でも述べた通り、火鉢という意味での「風爐」は『延喜式』(10世紀前半)にも見られるが、施設としての「風炉」は『山槐記』が初出だと思われる。
*2:中桐、p.496
*3:武田、p.95
*4:筒井、p.273
*5:池田亀鑑という研究者が分けた分類。
①類聚段:「○○は」「○○もの」という形。「春はあけぼの」や「うつくしきもの」など。
②日記(回想)段:清少納言の日記的な内容。
③随想(随筆)段:は①と②以外全て。自然や人の観察、批評などの内容。
この3つは明確に分けることができないところもあるので、それぞれに「的」をつけて「類聚的章段」「日記的章段」「随想的章段」とするべきという指摘もある(枕草子研究会、p.10)
*6:枕草子研究会 編『枕草子大事典』pp.62-102を参考にした。
*7:『校本枕冊子総索引第Ⅱ部』・『枕草子精講 研究と評釈』・『枕草子評解』の索引を参照した。『校本枕冊子総索引』は、本文に出てくる自立語は全て抜き出してあると書かれている。