Saunology -Studies on Sauna

Saunology -Studies on Sauna-

サウナについて調べ、考え、まとめるブログ。知れば知るほど、サウナにはまだまだ謎がある。その謎を解き明かしていくために、サウナについて様々な角度から考察してサウナ理解を深めます。身体で感じるだけでなく、頭で仕組みを考えるとサウナはもっと楽しい。サウナ好きがサウナをもっと知りもっと楽しむために始めたサウナ考察ブログ。 お問合せは下記までどうぞ。 saunology37@gmail.com

水風呂の歴史 -後編-

 「水風呂の歴史-前編-」では、「日本の沐浴とサウナ ~WARAKU GIG.32~」に出演した際にいただいた質問をきっかけに、浸かって入る水風呂がいつ頃からあるのか考えて、温冷交代浴が注目され始めたのはごく最近であることを確認しました。では、水風呂は結局いつからあるのでしょうか。サウナや熱い風呂とセットで利用するような水風呂がいつからあるのかはまだわかっていませんが、今回は古い新聞に見られる「水風呂」の記述についてまとめてみます。

大垣サウナ

(画像出典:心臓止まりそうで… サウナーなのに水風呂入らず15年 | 朝日新聞デジタル)

 

昔の新聞に見る「水風呂」

 水風呂の歴史を知るために、古い新聞に「水風呂」の記述があるか見てみました。サウナと水風呂、という文脈の古い例は見つけられませんでしたが、古い「水風呂」の記述をいくつか紹介します。

サウナと水風呂

 

 まず、本来はお湯が入っているべき風呂が沸いていなくて事故的に水風呂だった、という文脈のものがあります。①1897年の『朝日新聞』には次のような記事がありました。

千人の垢を流す三助の體(からだ)より後光のさヽねどもたなには千手観音の化身の上這ひし玉ふこそ氣味惡けれ春としなければ入湯も朝の間に限る事だと昨十二日の午前十頃淺草區千束町二丁目百番地金貸業關根良三郎(四十九)と云ふが同町の草津温泉へ出掛けると表に今日休業といふ紙札が下つて居れどそヽつかしさに氣が附かず門の戸開けて中に入りヤア箆棒(べらぼう)に隙いて居ると柘榴口を覗き込むと廿二三位ゐの男が唯一人氣長に顔を磨いて居るゆゑ御免なさいと這入つた處湯槽の中は日向水エヽこれは水だ水だ沸くものは斯くの如きか晝夜を捨てずにドンドンと平生なら焚く癖に今日は一体何うした譯(わけ)だハックショ風邪を引いたさうなとブルブルと慄へるを見て*1

 朝風呂に入ろうと訪れた草津温泉で、「今日休業」という貼り紙を見落としてしまい、かなり空いてるなと柘榴口*2を覗き込むと22~23歳の男が一人で顔を洗っていて、浴槽に入ってみたら中は水でハックション風邪を引いた、というエピソードです。他にも、風呂が沸いておらず水風呂だった、というような話は古い新聞に出てきました。

 また、火傷の治療として水風呂に浸けた、という記事が②1887年の『読売新聞』にありました。 

一昨夜の八時ごろ越前堀一丁目四番地の荒物商金子吉左衛門の娘おふく(十六)が立上がるはづみに釣ランプが落ち總身火焔に包まれて大騒ぎ腰部より下は大火傷なれば早速医師を招き先づ苦しみを減ずる為め冷水長浴とて風呂桶に水を一杯張りてお福を入れたといふがランプは怖い恐ろしい*3

 大火傷したおふくという娘の治療に水風呂を使ったという記事です。

 他に、健康法としての水風呂についての記事もいくつかありました。例えば、③1922年の『朝日新聞』には「流感の抵抗療法 一度やると忘れられぬ快い水風呂」という記事がありました。「流感」とは流行性感冒、つまりインフルエンザのことです。

高野大吉翁は寒い寒い此頃の毎朝五時、五六人の若者と共に浴衣一枚で(中略)駆け回るが門内に貼られた『抵抗療法水風呂耐寒法』といふ翁一流の保健法である『此方法によると流感予防ばかりでなく流感に罹って居るものも容易に全快出来る』と翁はいふ。(中略)毎朝水風呂に入り始め遂に風邪も喘息も治して終つた(中略)水風呂は一度經驗した者には冷水摩擦よりも乾燥摩擦よりも實行(じっこう)しやすく、而も何より気持ちのいゝものである』と翁は語つた*4

 この記事では「抵抗療法水風呂耐寒法」という高野大吉流の保健法が紹介されています。水風呂に入ることがインフルエンザの予防だけでなく、罹患している場合も全快するというのです。毎朝水風呂に入るようになって風邪も喘息も治ったという体験もさることながら、冷水摩擦や乾燥摩擦より実行しやすく「何より気持ちのいゝもの」と言われていることが興味深いです。サウナや熱い風呂の後ではなくいきなり水風呂に入るようですが、それでも気持ち良さに言及されています。

 健康法のという文脈の記事は他にもありました。④1939年の『朝日新聞』では、日本陸上競技連盟会長平沼亮三の健康法として水風呂について言及されています。 

健康法と云つて特別の事はしてゐませんが、昔から毎朝起きると直ぐ水風呂へ飛び込んで、ばたばた暴れ廻ります。眞冬でも實行してゐますから、寒中水泳などやつても平気です。*5

 朝起きるとすぐに水風呂に飛び込んで暴れまわるのが健康の秘訣とのことです。この頃、水風呂に入るというのは身体を鍛えるのによいと考えられていたようです。⑤1942年の『読売新聞』には、夏の衛生訓練を早めに始めて夏負けしないように十分鍛えておきましょう、という記事がありました。「生活の中に築いてゆく夏休み“訓練日課” 強い子をつくるお母様の注意」という記事で、「お母さん方のご参考に」と東京府衛生課の技師が訓練日課作ってくれたという記事の中で、水風呂についての言及があります。

夕方たらひに水をくんで水風呂を浴びませう。これは皮膚の鍛錬になかなかよいのです。夜寝るときは腹巻だけでねる習慣をつけること、蒲団などかけると汗をかいて却つて寝冷えのもとになります。*6

 水風呂が皮膚の鍛錬になると推奨されています。お母さん向けなので、子どもたちを水風呂に入れることが推奨されていたということですね。

 一方、⑥1978年の『読売新聞』には、風邪の治し方として水風呂を紹介したところ、「そんな残酷なことはできない」と反響があったのでもう少し詳しく説明する、という編集後記のようなものもありました。

先日、カゼの直し方について書いたら、読者の皆さんからいろんなお便りをちょうだいした。中でも、イギリス流の、カゼ患者を水ぶろにつける療法について、とてもそんな残酷なことはできないといった手紙が多かったが、ちょっと言葉が足りなかったところもあるので、誤解のないように、もう一度説明させていただく。つまりこれはカゼに伴って四十度近い高熱が出、経口薬だけでは熱が下がらぬときに用いられる解熱法ということだ。(中略)早まって冷たいふろに飛びこんだりなさらぬように*7

 イギリスには風邪患者を水風呂につけるという治療法があったようですね。薬では熱が下がらないときに解熱法としてそういう方法がある、ということだったようです。

 ⑦1973年の『読売新聞』には事件性のある記事もありました。男が水風呂につけられていて「寒いヨ」という記事です。

裸同然、全身びしょぬれで道路で気を失って倒れていた男は「水ぶろにつけられた。寒いヨ」。さる十一日朝、千葉県木更津市でのこと。(中略)仲間と酒を飲んで口げんかしたところ、飯場経営者が腹を立て、乱暴したうえ、一時間も水ぶろに”監禁”、あげくに九日間の給料二万七千円もくれずにほうり出された、という。*8

 この「暴力飯場屋」と「手下二人」は暴行傷害、労基法違反で逮捕されたそうで、記事の最後は「この三人『しつけが大事なので』と妙な弁解をしていた」 とまとめられていました。

 

 また、水風呂を使った風刺画もありました。1931年のものです。

サウナ 水風呂

(画像出典:『読売新聞』1931年7月9日) 

フーヴァー景気来ると飛び込んでみたがそれは水風呂震え上つたのは人気株と国際商品関係だけ、景気の熱が傳はつてくるまでに風邪をひいてお陀佛にならねばよいが…*9

 景気が良くなると期待して飛び込んだそこは水風呂、景気の熱が伝わってくるまでに風邪を引いてお陀仏ということにならないといいけれど、という風刺画です。

 

1990年代の「水風呂」

 1990年代になると、温冷交代浴の文脈での水風呂についての言及もありました。1992年の記事で、新宿区が銭湯マップを作って配布、という話題の中に次のような記述がありました。

例えば女性編では「熱い風呂と水風呂を繰り返すと肌に良い」などの説明が漫画入りで書かれている*10

 熱い風呂と水風呂の交互浴が肌に良い、ということで女性向けにアピールされていたようです。実際にはもっと前から、熱い風呂やサウナのあとに入る水風呂があったのでしょうけれど、そういう水風呂の入り方がいつからあったのかはなかなか特定できません。

銭湯マップ

(画像出典:東京23区の銭湯の変遷 | 赤猫丸平の片付かない部屋)


ちなみに、水風呂の歴史とは関係ありませんが、1991年の『読売新聞』には男女の浴室の差についての話題がありました。

ひょんなことから、意外なことに気づいた。温泉地のホテルや旅館で、男湯に比べて女湯のつくりが見劣りし、旅好きの婦人たちが割り切れなさを抱いている、ということだ。最近泊まった山口県内の温泉地のホテルで女湯がぬるすぎて、ちょっとした騒ぎがあった。ここはわかし湯だが、わかし方が不十分なのだ。逆に男湯は、熱かった。悪いことに、女性客がホテル側に抗議したところ、なにを勘違いしたのか、男湯の温度の方をさらに上げた。男は熱湯、女は水風呂。「ここの宣伝文句の岩風呂は男湯のこと。女湯は浴槽があるだけ。おまけにぬるいとは……。温泉地では、たいてい女が軽く扱われる」と一人が不満をもらした。女湯をのぞいて見るわけにはいかなかったが、当のホテルのお手伝いさんも、設備に差があることを認めた。すべてのホテル、旅館がこうだとはいわない。しかし、ある温泉地のホテルのCMで立派な浴場が紹介されると、「女湯とは違う」という声を聞いたのを思い出した。温泉は男の天国、という時代ではない。女性だけで旅を楽しむのがあたり前のいま、受け入れ側の設備にまだ差があったのか、と意外に思う。同じ宿泊費を払っているのに、気の毒だ。*11

 

 新しくできる施設でも、女性側は水風呂なし、女性側はドライサウナなし、ということも結構あります。あるいは、温度設定の設定や、サウナ・水風呂の数が違うということもあります。また、サウナを売りにしている宿泊施設なども、ホームページを良く見てみるとサウナは男性のみだったり、水風呂は男性のみだったりします。サウナというコンテクストではなく温泉の設備という点で1990年代に男女差の話題が出ているのは興味深いです。「女湯とは違う」というのは2020年の今も共感できるところです。

 

 今回は、古い新聞記事に「水風呂」が出てくる記事について紹介しました。サウナのあとにどっぷりと浸かる水風呂の歴史については、これからも更に調べていきたいと思います。 

 

参考文献・資料

 『朝日新聞』朝刊、「水風呂」、1897年4月13日

『朝日新聞』朝刊、「流感の抵抗療法 一度やると忘れられぬ 快よい水風呂 毎朝浴衣一枚で宣伝する高野太吉翁」1922年2月1日

『読売新聞』夕刊、「男湯女湯」、1991年3月18日

『読売新聞』朝刊、1942年7月15日、「生活の中に築いてゆく夏休み“訓練日課” 強い子をつくるお母様の注意」

『読売新聞』朝刊、「銭湯マップが完成 利用者増へ4万部配布/東京・新宿区」 、1992年3月24日

『読売新聞』夕刊、「話の巷」、1973年11月26日

『読売新聞』朝刊、1887年9月13日、「火攻め、水攻め 落ちたランプで腰から下に大火傷の娘、水風呂で治療」

『読売新聞』朝刊、「編集手帳」、1978年2月12日

『朝日新聞』朝刊、「まこと壮者を凌ぐ 毎朝起きると直ぐ水風呂へ 平沼陸連会長の健康法」1939年 4月10日

『読売新聞』朝刊、「水風呂景気の株屋さん」、1931年7月9日

 

*1:『朝日新聞』1897年4月13日

*2:江戸時代から明治の途中まで存在した石榴風呂という形式の風呂の入り口のこと。

*3:『読売新聞』1887年9月13日

*4:『朝日新聞』1922年2月1日

*5:『朝日新聞』、1939年4月10日

*6:『読売新聞』1942年7月15日

*7:『読売新聞』1978年2月12日

*8:『読売新聞』1973年11月26日

*9:『読売新聞』1931年7月9日

*10:『読売新聞』1992年3月24日

*11:『読売新聞』1991年3月18日