Saunology -Studies on Sauna

Saunology -Studies on Sauna-

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江戸の湯屋とお正月

 年末年始は家でゆっくりお風呂に入るという人もいれば、年末年始こそお風呂屋さんに出かけたいという人もいます。行きつけの銭湯の年末年始のスケジュールを確認してから新年を迎えた人も多いのではないでしょうか。昔の銭湯のお正月は、どんな雰囲気だったのでしょうか。今回は、江戸の湯屋のお正月についてまとめてみます。

 

お正月の湯屋のおひねり

 元旦に風呂に入ると福が流れてしまう、元旦ではなく1月2日の朝を初風呂にするべき、というような説もあるようですが、『公衆浴場史』では「元旦に風呂にはいると福がくる」という俚諺が紹介されています*1。解説には次のように書かれています。

「一年の計は元旦にあり」といわれるとおり、元旦早朝に風呂にはいって、過ぎた一年をかえりみ、一年間の計画を考えれば、かならず名案が浮かぶものといわれている*2

 昔の銭湯、江戸の湯屋は年末年始も多くの人が入浴に訪れたようです。「初湯」は1月1日ではなく1月2日からだったという解説もあります。人だけでなく、湯釜を休ませるためにも、元日は休みだったというのです*3。ただ、史料によっては湯銭に関する記録などで「一月一日」とあるものもあり、営業している湯屋もあったことがうかがえます。いずれにせよ、「初湯」にはたくさんの人が訪れたようです。

 江戸の湯屋では、お正月の間は番台に三宝を置き、鏡餅を飾ったそうです。三宝はお供え物などを置く、こういう台です。

 

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(画像出典:Amazon商品ページ)

 

 番台に鏡餅が置かれている様子が、山東京伝の黄表紙『賢愚湊銭湯新話』に描かれています。番台に大きな鏡餅が置いてあります。

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(画像出典:『賢愚湊銭湯新話 』3巻、国立国会図書館デジタルコレクション)

 

 鏡餅の手前に、もう一つ三宝が置いてあります。こちらは、客が紙に包んだおひねりを置く三宝です。この絵では山積みになっていますね。『公衆浴場史』にも、正月の湯屋の様子についての記述がありました。

銭湯では新春には初湯の日として、三日間とか、七草まで番台に三宝を置き、銭湯の主人は紋服でていねいに客を迎え、常連の客は湯銭を含めて包んだ祝儀を、その三宝にのせる*4

 お正月などには、客が湯銭にプラスしてご祝儀を置いていく習慣があったのですね。おひねりとして包むご祝儀の金額は、「寛永銭三つを白紙にひねりて」という記述があることから、一ひねり3文(70~80円)であったと言われています*5

 このご祝儀をおひねりにして番台に置いていくのはお正月だけではなかったようです。季節のイベントのときの習慣だったようです。

この番台には正月の松の内とか、季節の桃の湯、菖蒲の湯などは紋日と呼んで浴客の祝儀(おひねり)受けとして三宝がおいてある*6

 ご祝儀を置いてもらう三宝を置いている間は、湯屋の方もお茶を出すなどのサービスをしていたそうです。

この三宝のだしてある間は、銭湯のサービスとして、番茶とか香せん入りの麦湯などをだす。そのため脱衣場には、特に茶釜をおいて、サービスの男とか女とかを臨時にだしたもので、浴客はこの男女にも、おひねりを与える習慣となっていたのである*7

 利用も多いお正月や季節のイベントのときには、湯屋側も特別なおもてなしをしていたということですね。

 お正月、初湯の様子は他の本にも見られます。式亭三馬の滑稽本、『諢話浮世風呂』の「女中湯之補遣」には、お正月、初湯の様子が描かれています。

 

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(画像出典:『諢話浮世風呂』新日本古典籍総合データベース)

 

 「松の内早仕舞」と書かれているように見えます。「松の内」の期間は地域によっても異なるようですが、お正月飾りを飾っておく期間、1月1日~1月7日あたりのことですね。『諢話浮世風呂』にもおひねりについて書かれています。上の絵の次のページです。

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(画像出典:『諢話浮世風呂』新日本古典籍総合データベース)

 

 「春はあけぼの、やうやう白くなりゆくあらひ粉に、ふるとしの顔をあらふ初湯のけふり」と、『枕草子』のパロディの記述から始まります。このページの最後、小さな字で「白き物は初湯の三方といふめる。祝儀の十二銅、男衆への水引包は、二つの三宝にうず高うして、雪消えぬ不尽と筑波山をあらそへり」と書かれています。たくさんのおひねりがうず高く積まれている、という記述です。ちなみに『公衆浴場史』によると「十二文」というのは文化頃の相場だそうです*8

 

古川柳と初湯

 お正月の湯屋の様子は、江戸時代の川柳にも出てきます。『公衆浴場史』では、『川柳風俗志』(西原柳雨著)や『川柳類纂』(花関百樹)などから選んだ古川柳の中から、入浴に関するものを紹介しています。古川柳は、江戸時代の川柳です。その中にも、お正月関係のものがあります。次の3つです。

 

・湯屋の台ひねった銭でうめるなり

・松の内湯屋にも茶番一人つけ

・湯で会って御慶を申す素っ裸*9

 

 1つ目は番台に置くご祝儀についてですね。おひねりで番台をいっぱいにするという内容です。2つ目は、松の内、お正月の間にサービスのお茶を出す人を臨時に雇っていた、という慣習についてですね。3つ目については、次のような解説がありました。

なお、新春三ガ日の浴客のなかには、知人に湯槽で新年初めて顔をあわせることも多く*10

 湯屋で新年のあいさつを交わすということもあったということですね。全裸で新年のあいさつ、滑稽な気もしますが、よいお正月です。

 

 今回は、江戸時代の銭湯、湯屋のお正月についてまとめてみました。江戸時代と違って今は家にお風呂があることが当たり前になりましたが、お正月、近所の銭湯で常連さんに全裸で新年のご挨拶をしてみるのもよいですね。

 

参考文献・資料

全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会(1972)『公衆浴場史』、全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会

高橋達郎「ちょっと江戸知識 コラム江戸:『初湯』は新年に初めて入る風呂。」クリナップ

*1:全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会、p.369

*2:同上

*3:高橋

*4:全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会、p.376

*5:高橋

*6:全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会、p.80

*7:同上、pp.376-377

*8:同上、p.376

*9:同上

*10:同上、p.377