Saunology -Studies on Sauna

Saunology -Studies on Sauna-

サウナについて調べ、考え、まとめるブログ。知れば知るほど、サウナにはまだまだ謎がある。その謎を解き明かしていくために、サウナについて様々な角度から考察してサウナ理解を深めます。身体で感じるだけでなく、頭で仕組みを考えるとサウナはもっと楽しい。サウナ好きがサウナをもっと知りもっと楽しむために始めたサウナ考察ブログ。 お問合せは下記までどうぞ。 saunology37@gmail.com

高温カラカラサウナが定着した理由

 日本の高温でカラカラのサウナは間違っている、フィンランド式の中温高湿のサウナこそが正しい、という発言について、いろいろと意見が交わされています。「間違っている」という価値判断を伴う言葉の強さからつい感情的になってしまいがちですが、そもそもどうして日本では高温カラカラのサウナが定着してきたのでしょうか。今回は、日本の高温カラカラのサウナについて考えてみます。

 

熱で温まるか湿度で温まるか

 「サウナと湿度 絶対湿度の算出~男性サウナ室~」で絶対湿度と座面の温度をもとに10施設をマッピングした時にも、高温低湿、つまり高温カラカラのサウナが少なくないことを紹介しました。

サウナの温度と湿度

 

 そして、これはフィンランド式の中温高湿のサウナ室とは確かに違うけれど、フィンランドのようにゆっくりサウナ室に入る時間的余裕が日本人にはなく、短時間でがっと汗をかけるサウナ室が求められてローカライズされてきたのでは、という考察をしました。
 定期的にロウリュをしながら温まるサウナ室では、温度をそこまで高温にはできません。ロウリュが熱くなりすぎて火傷してしまいます。ロウリュで温まるという方法は、蒸気で温まる、湿度の上昇で温まる方法です。「サウナのロウリュが熱い仕組み①」で紹介したように、ロウリュが熱いのは水蒸気の対流と、皮膚表面で発生する潜熱のためでした。

ロウリュの熱さの秘密

 

 熱いは熱いですが、どちらかと言うと表面的な熱さで、温度は低めなためじっくり温まる形になります。温度も比較的高いサウナ室でのロウリュサービスでは瞬間的に非常に熱いロウリュも体験できますが、これもどちらかと言うと表面的な熱さや痛さです。いわゆるフィンランド式と言われるサウナは中温のサウナ室で定期的に自分たちでロウリュをしながらじっくり温まるタイプのものだと考えられます。
 一方、熱を強くする高温カラカラのサウナ室は、じっくり入るというより短時間でしっかり温まることができると言えます。湿度が低くカラカラだと汗が出にくいと思っていますが、実は汗をかいてすぐに蒸発してしまっているだけで、「見えない汗」をかいているのだということは「サウナと汗 サウナ室でかく汗」でも指摘しました。

サウナと汗


 目に見える汗は、蒸発できずに身体に残るということで、体温調節という面では役に立っていないため「無効発汗の汗」と言われます。カラカラのサウナ室では、体温調節に寄与する「有効発汗の汗」をかいていて、体温調節という面では効率が良いとも言えます。
 フィンランド式の方が比較的ゆっくりサウナ室に入っているであろうことは、海外のサウナ用砂時計が専ら30分単位なことからもうかがえます。また、中温高湿のサウナ室はゆっくりじっくり楽しむ、ということは実際に体験している人も多いと思います。ではどうして日本では短時間で温まることができるサウナ室が定着してきたのでしょうか。

 

日本のサウナ受容

 日本には古代から蒸し風呂の歴史がありますが、日本の伝統的な蒸し風呂は江戸時代の途中から徐々に湯風呂に代わっていきます。そして、改めてフィンランドからフィンランド式のサウナが入ってくるのが1964年の東京オリンピックの頃だと言われています。東京オリンピックの際に選手村に日本が用意したサウナは、最初は「本場のものとはだいぶちがう」*1ものだったそうです。フィンランドオリンピック委員会の会長らが来日して見た際に本場とは違うことが指摘され、修正をしたと言います。

 その様子は1964年の『読売新聞』「本場そっくりと大喜び フィンランド大使 寄贈のムシブロを見る」という記事からうかがえます。開村式のリハーサルの日にフィンランド駐日大使が「“サウナ”が間違いなくフィンランド風にできたかどうかを自分の目で確かめるため」*2にやってきたというのです。最初のものは、フィンランドのサウナとは大きく違ったため、フィンランドから「サウナ用電気ガマ」が寄贈されて作り直したと言います。そして出来上がったサウナは「ヒノキ張り、密室のサウナの中にこのカマを置くと、温度は摂氏百度ー百二十度に上る。ここで汗を流して冷たいシャワーを浴びてマッサージを受ける」*3と書かれていて、結構温度が高いことがわかります。記事は次のように締めくくられています。

故郷のサウナそっくりのでき上がりぶりに大使は「トレ・ビアン、トレ・ビアン(たいへん結構)」とフランス語を連発、大喜びだった*4

 東京オリンピックの時に、フィンランドのオリンピック委員会会長やフィンランド大使の助言によって日本の選手村で「フィンランド式」のサウナが完成したということです。

 フィンランドからもたらされたサウナがその後日本でどう広まったかを見てみると、家風呂の普及が関係してきそうです。サウナイキタイのアドベントカレンダーに参加して書いた記事、「サウナの今までとこれから」で紹介した1969年の『読売新聞』の記事「“銭湯”がなくなる 昨年だけで17軒も」には「続々サウナに転業」という小見出しが見られます。銭湯が廃業する中、「一方、デラックスな設備を誇るサウナの数はうなぎのぼり」*5だと書かれています。家風呂が普及する中で、外の浴場に行くのであれば値段が高くなってもサウナがあるところに行く、という人も多かったのかもしれません。

 そして、1971年の『読売新聞』に「『サウナ併営を』都内の公衆浴場 業界が不振打開策」という見出しの記事があります。この記事では「都内の公衆浴場は、サウナブロを併営して経営不振を打開するとよい」*6という打開策が都公衆浴場問題協議会で示されたことが報じられています。「業界側が自分たちの将来について方向を打ち出したのは、こんどがはじめて」*7とも書かれています。

浴場が社会的に必要とされ、しかも企業として生きていくためには、当面、サウナブロ設備の多様化型銭湯が一番適しているという結論を打ち出した。とくに、サウナブロの併設は、家庭にないものだけに、衛生、健康、娯楽の三つの目玉ができ、大衆化するとみている*8

 サウナを供えた施設が急増し、サウナに転業する銭湯も増えていく中で、サウナ併設ということが生き残るための打開策として明言されているわけです。家風呂が普及していく中で、家にはないサウナというオプションをつけることで集客を目指したということです。

 この頃、銭湯に併設ではないサウナ施設も作られたようですが、銭湯も生き残りのためにサウナ併営を考え始めたことがわかります。日本のサウナ受容を考える上で興味深いこの3つの新聞記事の内容をまとめると以下のようになります。

日本のサウナ受容

 

 銭湯だけでなく、ゴルフ場や宿泊施設などにもサウナが作られていきました。日本のサウナは、銭湯にくっつける、娯楽施設にくっつける、旅館やカプセルホテルにくっつける、という形で、何かのプラスアルファとして普及・発展してきたと言えるのではないでしょうか。健康ランドにせよスーパー銭湯にせよ、サウナは他に楽しめるコンテンツがたくさんある中の一つという位置づけのことが多いです。つまり日本ではサウナ浴は毎日必要な入浴の方法ではなく、何かにオプションとしてついているものであって、湯にも入る、身体も洗う、となると1回のサウナ浴にかける時間はそれほど長くなくなるのが自然でしょう。サウナ好きはサウナだけに注目しがちですが、他の客を見てみると、サウナには軽く1セットしか入らず、他の浴槽などもじっくり楽しむという人も多いです。
 この銭湯などにサウナを追加していく取り入れ方は、浴室にサウナを作ることになりますから、水風呂という文化が定着することとも関連するかもしれません。浴槽を一つ水にすれば水風呂ができるわけですから。

 最初に選手村にサウナを作ろうとした時には、フィンランド人から見たら「間違い」の多いサウナだったのが、フィンランド人の助言やヒーターの寄贈により「正しいフィンランド式」のものになったのです。つまりこうしてフィンランド式を取り入れ、それが根付くという可能性もないわけではなかったわけですが、それだけに入るというより他のものとセットで普及していったことによって、短時間で入ることができる形にローカライズされていったのではないでしょうか。また、廃業しそうでサウナに転業、という状況では、コストもそれほどかけられなかったという背景もあるかもしれません。

 

日本のサウナのこれから

 日本のサウナの歴史を考えると、古代から江戸時代まで存在していた蒸し風呂と、1960年代になって改めてフィンランドから入ってきたサウナとの間に断絶があると言えます。入浴を目的として使っていた蒸し風呂が今のサウナに進化したのではなく、フィンランドから改めてもたらされた今のサウナは入浴目的というより、家風呂でできる入浴とは違うオプションとして存在し続けているのではないでしょうか。この点はフィンランドにおけるサウナの歴史と異なるところです。

 フィンランド式こそが正しい、日本のサウナは長年「間違った」形でやってきたのだ、という指摘もありますが、日本におけるサウナの位置づけを考えてみると、今も、また今後も日本ではサウナは何かとセットの形で楽しまれることが主流なのではないでしょうか。毎日の入浴に取って代わるものには、今後もならない気がします。そうすると、高温カラカラのサウナと水風呂の交互浴を、1セットを短時間でできる日本の効率の良いサウナはなくならないと考えられます。
 もちろん、セルフロウリュができる、フィンランドのように中温高湿で楽しめる、というサウナ室も同時に存在することになると思います。ここ数年でそうした施設が新たにできたり、フィンランド式に寄せたサウナにリニューアルした施設もあります。
 しかし、結局選ぶのは利用者です。本当に日本の高温カラカラのサウナが「間違っている」のであれば、フィンランド式の方にばかり客が入って高温カラカラサウナは淘汰されていくだけです。淘汰されずに残るということは、日本人にとってはそれが「間違っている」ものではなく、生活や文化に合っているスタイルだと言えるでしょう。高温カラカラのサウナがたくさんあることは、少なくともこれまではそうだったことを証明しています。そしてこれからも「間違っている」なら淘汰され、消えていく、引き続き残っていくのであればそれはその文化においては「間違っていない」という、それだけのことです。
 そもそも外来のものについて、これは「本場」と比べて間違っている!という議論は、外来のものを受け入れる段階では有効な議論ですが、すでにその形で定着しているものについてするのはあまり意味がない議論です。日本のカレーが本場と違うことを今更問題視する人はいないでしょう。

 

 今回は日本の高温カラカラサウナについて考えてみました。時代は変わるので、今議論することも、無意味ではないですし、議論自体は大事なことですが、感情的になりすぎるといろいろなことが見えなくなってしまいます。自分の「好き」「嫌い」とは別の次元で、客観的な視点を持つことが重要ではないでしょうか。

 

参考資料

『読売新聞』、「『サウナの併営を』都内の公衆浴場 業界が不振打開策」、朝刊、1971年8月13日

『読売新聞』、「“銭湯”がなくなる 昨年だけで17軒も 」、朝刊、1969年1月12日

『読売新聞』、「本場そっくりと大喜び フィンランド大使 寄贈のムシブロを見る」、朝刊、1964年9月12日

 

*1:『読売新聞』、朝刊、1964年9月12日

*2:同上

*3:同上

*4:同上

*5:『読売新聞』、朝刊、1969年1月12日

*6:『読売新聞』、朝刊、1971年8月13日

*7:同上

*8:同上