Saunology -Studies on Sauna

Saunology -Studies on Sauna-

サウナについて調べ、考え、まとめるブログ。知れば知るほど、サウナにはまだまだ謎がある。その謎を解き明かしていくために、サウナについて様々な角度から考察してサウナ理解を深めます。身体で感じるだけでなく、頭で仕組みを考えるとサウナはもっと楽しい。サウナ好きがサウナをもっと知りもっと楽しむために始めたサウナ考察ブログ。 お問合せは下記までどうぞ。 saunology37@gmail.com

日本の蒸気浴の歴史

日本のサウナの歴史は長い

 昨今のサウナブームの中で、サウナの「本場」と言えばフィンランドのサウナやロシアのバーニャ、というイメージを持っている人は多いのではないでしょうか。サウナに限らず、日本人はもともとその土壌があったり歴史があるものも、本場は海外だと思っていることが多々あります。

 確かに狭義のサウナはフィンランドのサウナを指しますし、フィンランド式のサウナの本場はフィンランドですが、広義のサウナは蒸気浴全般を指し、日本にも長い蒸気浴の歴史があるのです。長いだけでなく、日本人の入浴の歴史は蒸気浴が中心で、サウナがブームになる下地は古代から私たちのDNAに刻み込まれていると言っても良いかもしれません。

 

「風呂」はもともと蒸し風呂

 蒸気浴の歴史をたどるために、まず言葉を整理します。

・沐浴:「沐」が髪を洗うこと、「浴」が身体を洗うことで髪と身体を洗うこと。

・蒸気浴:蒸し風呂など、蒸気を使った入浴法。

・温湯浴:湯舟に満たした温かい湯に入る入浴法。

・風呂:自然にできた洞窟や人間が掘削した洞窟を意味する「室」(ムロ)に由来すると考えられる。近世までは蒸気浴する施設のこと。

・湯:温湯浴する施設のこと。

 

 「風呂」はもともと蒸し風呂など、蒸気浴するところを指す言葉でした。『古語大辞典』(小学館)の「風呂」の項にも「入浴する場所。江戸初期までは蒸風呂形式」と書かれています。湯舟に湯をはって入るところは「湯」と言われました。言葉の上でも、日本の「風呂」のルーツは蒸気浴だったと言えます。

 筒井功は「われわれの沐浴史の本流はあくまで蒸し風呂である」*1と言います。日本の沐浴の歴史がいかに蒸気浴中心であったか、それがいつ頃どのように今のような温湯浴中心に移りかわったか、年表で整理してみました。

  

日本の沐浴史年表

 古代から温泉に入る温泉浴や水浴びは行われていました。一方で、人が手を加えた入浴方法は蒸気浴を中心に発展していき、近世前半が蒸気浴(蒸し風呂)から温湯浴(湯風呂)への移行期と言えます。この、人が手を加えた入浴方法の歴史をまとめるとこのようになります。 

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日本の沐浴史の流れ

古代(~奈良時代)

 自然の洞窟などを利用した蒸気浴は古くから行われていたようです。そして次第に設備として蒸し風呂が作られるようになります。記録に残っているものとしては、寺院に作られた浴堂があります。寺院の資料に「温室」「温室院」という言葉があり、当時使われていた釜の記録などが残っています*2。形式ははっきりとはわかっていませんが、「温室」「温室院」という言葉からは蒸気浴などの発汗浴であったと推察されています*3。また、この時代にお湯をたっぷりはって浸かっていたとは考えにくく、取り湯式という、掛け湯のような入浴方法か、釜の中で焼き石などに水をかける蒸気浴であったと考えられています*4

 

中古(平安時代)

 平安時代には「御湯舎」「湯屋」という言葉が文献にあらわれ始めます*5。これらがどのような形式のものだったかはっきりわかりませんが、「湯」がつくと言っても、この時代に現代のように湯をためていたとは考えにくく、蒸気浴の可能性もあるとされています*6。平安時代末期には「風炉」という言葉も文献に見られるようになり、この「風炉」は蒸し風呂形式だったと考えられます。「風炉」という言葉が出てくる文献から、屋形を構えた蒸気浴施設がこの頃からできてきたと推察されています*7

 

中世(鎌倉時代~室町時代)

 中世になると、貴族の日記からも寺院の記録や絵巻物の絵からも人々が蒸気浴をしていたことがわかります*8。貴族の日記から、町に風呂屋があったこともうかがえます。寺院の浴堂は、浴室に置いた釜の中で蒸気を立てる形式ではなく外の釜から浴室に蒸気を送り込む形であったことが絵巻物の絵などからわかります*9。病人や貧しい人に浴堂を解放する「施浴」も盛んになり、庶民も寺院で蒸気浴する機会があったようです*10

 

近世前半(安土桃山時代~江戸時代前期)

  近世前半は、蒸し風呂から湯風呂への移行期と言えます。日本の入浴文化の構図は西日本は蒸気浴優勢、東日本は温泉浴優勢でした。この時期、政治権力が西から東へと移るにつれ、蒸気浴が衰え湯風呂の温湯浴が広がって行ったと考えられています*11。板風呂・戸棚風呂・石榴風呂などの蒸気浴浴室・半蒸気浴浴室があらわれ利用される一方で、据え風呂という温湯浴用の移動式風呂桶も登場します*12

 

近世後半(江戸時代中期~後期)

 江戸時代中期から後期になると、石榴風呂も変わっていきます。蒸気を立てるためにはっていた湯の量が次第に増えていき、最終的には入口の板の奥に湯舟が置かれるようになります。据え風呂も、鉄砲風呂や五右衛門風呂に変わっていき、いよいよ温湯浴が主流になってきます。

 

近代(明治~)

 近代になると、石榴風呂が衛生上・風紀上の理由から禁止され、「改良風呂」という今の銭湯の先駆けの風呂が登場します*13。ここで完全に蒸気浴とは決別し、入浴は基本的に温湯浴になり、蒸気浴は例外的な入浴法になっていきます。

 

日本人の沐浴は蒸し風呂がメインだった

 このように、日本の沐浴の歴史は長い間蒸気浴が中心でした。そして、半分蒸気浴・半分温湯浴の時代を経て、今のような温湯浴中心の習慣になったと言えます。

 日本には長い蒸気浴の歴史があり、日本人にとっての沐浴は長い間蒸気浴、つまり広義のサウナだったのです。私たちはサウナを輸入品や海外の習慣と思わずに、日本のサウナの歴史も長いぞ!と自信を持って良さそうです。

 次回からは各時代の蒸気浴について更に詳しく見ていき、日本の蒸気浴の歴史にせまります。

 

参考文献

筒井功(2008)『風呂と日本人』、文藝春秋

中田祝夫・和田利政・北原保雄 共編(1983)『古語大辞典』、小学館

山内昶・山内彰(2011)『風呂の文化誌』、文化化学高等研究院出版局

吉田集而(1995)『風呂とエクスタシー 入浴の文化人類学』、平凡社

 

*1:筒井、p.191

*2:同上、p.74

*3:同上

*4:吉田、p.153

*5:筒井、p.78

*6:同上

*7:同上、p.81

*8:同上、p.85

*9:例えば、『東大寺縁起絵巻』や『慕帰絵詞』が有名。

*10:筒井、p.87

*11:山内・山内、pp.173-174

*12:筒井、p.197

*13:吉田、p.158